ニコニコ動画初心者にありがちなこと


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■ニコニコ動画初心者にありがちなこと

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1 名前: no name :2007/11/17(土) 00:41:53 ID:zKahl6tg

「自重」を「じじゅう」と読む

701 名前: 削除済 :削除済

削除済

702 名前: no name :2010/09/01(水) 10:50:16 ID:QCt+MQDV

コピペ厨・・・・

703 名前: no name :2010/09/01(水) 12:12:27 ID:+8pXdtUY

まず、波動形式で人間の行動を全て説明できるとすると、人間を関数の集合体と解釈する。
人間の思考形態は大きく分けて主観的思考と客観的思考があり、
主観的思考は自己にとっての真実であり、客観的思考は自己を除く全てにとっての真実である。
全ての現象は主観的思考により定義し、客観的思考により真偽を確かめる。
主観的思考による定義とは虚構を含んだ自己の学習機能であり、あらゆる客観的現象を識別する差異化システムである。
いわゆる現象のカオス状態を自己の感覚的刺激のパターンに置き換える機能であり、人間には五感や六根などの関数がある。
それに倣ってまず質料の波動定義をする。
視覚的刺激として光のセンサを用いたスペクトル分解を行い
三次元直交座標上にスペクトルと形状の再現と閾値とグラフの抽象化を設定することによる固体の識別・定義を行う。
触覚的刺激として圧力に対するセンサを用いた凹凸の認識により定義固体の詳細の形状を再現する。
聴覚的刺激として空気の振動に対するセンサを用いた内部構造や材質の定義を音の性質により判断する。
他にも高周波数の電磁波を発する作用により内部構造の定義が出来る。
質料と作用の関係性により質料の形状と構造の波動を得ることになる。
これらのデータの集合として形相は求まるが、自律思考を得るためには目的が必要である。
つまり質料に対する作用がなければ、人間が予めデータを入力しなくてはならないため自律思考による学習機能が必要である。
これは連続的作用の定義であり、作用を与える理由を持たせ自動的連続的に波動の定義を行わせる必要がある。
それが生存する間継続して行われるべきであれば生存の目的を与え、破壊による危険性の排除が目的の定義となる。
破壊の波動を物質の運動量と定義すると閾値を越えた質量と速度の構造を持つ質料を危険性の定義とし
物理演算などのシミュレーションを行うことで排除目的の定義となる。
その排除行動が連続的作用の定義と学習機能であり、コンピュータに破壊的波動(機能)を持たせない限り、
多くの場合回避行動の理由を持つ構造分析の連続的作用の目的を持つと思われる。
これにより目的行動・構造抽出・自動定義による学習行動の連続性ルーチンをもつと思われる。

704 名前: no name :2010/09/01(水) 20:39:32 ID:+8pXdtUY

永久命題を設定することによる無限作用ルーチンである。
質料の定義により波動の感知が可能となり、目的を自己生成・解決する。

>>703
訂正:スペクトル分解→スペクトル分析

705 名前: no name :2010/09/02(木) 19:45:18 ID:VDrNlCUo

分析の目的とは生活的感情に取り込むことでありいわゆる理解である。
分析の対象として現象があり、現象の定義がなければ単なるカオスである。
現象の完全な定義をすることはできない。なぜなら、定義は主観的であり、現象は客観的なためである。
現象は言語で表現され、言語は論理で説明され、論理は管理する態度を持ち、
現象が管理的態度となった時、人間の波動と同化し虚構を除き真実のみを方法に還元する。
例えば、社会的現象の分析をする態度として、社会的現象の波動を感じ取り
表現を論理に収束し質料と作用の関係性を定義し数的・名称構造において管理的態度となる。
これは順序的な定義無き波動の収束であり、発散する波動の定義も可能となる。
主観的現象にとっても客観的現象にとっても自己の生活感情が普遍の真理である。

706 名前: no name :2010/09/02(木) 20:50:05 ID:VDrNlCUo

現象の分析は表現の波動を収束することが目的となる。
「社会の収束と再現」を目的とした分析を行い、予測不可能な場合不可能性の証明を行う。
「波動の数的・名称構造を築くため共通因子による順次分解による構造化による樹形モデルとし
形相の包み込み→面積素の総和→生活感情による真偽基準→順次証明を基本パターンとし思考ルーチンのアルゴリズムとする。」
これを現象構造化アルゴリズムとし、今後の議論モデルとなる。(モデル化の意義とは認識の簡易性である。)

707 名前: no name :2010/09/02(木) 20:58:20 ID:VDrNlCUo

生活感情を真偽の基準とした根拠は先言措定である。

708 名前: no name :2010/09/02(木) 21:18:12 ID:VDrNlCUo

生活空間は論理の認識限界であり、これを「アンチノミーの境界」と定め先言措定の限界とする。
アンチノミーによる境界は知識増加、もしくは認識増加により変動する。
固定観念に囚われないため「時間に閉じ込められる波動」という定義において境界解析する。

709 名前: no name :2010/09/02(木) 21:54:43 ID:S9Hs9Kkl

楽しい?

710 名前: no name :2010/09/02(木) 22:02:10 ID:lssQ5m5f

>>709
お前みたいな餓鬼よりまともな件

711 名前: シラカミ :2010/09/03(金) 00:08:04 ID:dwUjJaz2

ニコスクリプト簡易編集でジャンプ先の動画指定した。
投コメ全部消えて、ジャンプ設定だけが残った。
泣いた<今ココ。

712 名前: 削除済 :削除済

削除済

713 名前: no name :2010/09/04(土) 02:22:44 ID:WIWimBpg

定義とは主観である。主観は全てを定義する。
ユークリッド幾何学は美学的視点により公理系を築いた。
それは学問の中心部であり、真の純粋性は美学が支配する空間である。
我々が生きる目的とは真実を求めることであり、美学は真実の評価であり、
論理は美学の純粋性を失わせないため、解釈の混入を妨げる。
しかし、人間には虚構も必要である。
現在の真実を否定できるからこそ越するのである。

714 名前: no name :2010/09/04(土) 02:46:09 ID:WIWimBpg

アンチノミーの境界は純粋性の美学によってのみ変動する。
全ての感情や感覚は主観的現象であり、必ず因果律を持つものである。
時間に閉じ込められた「間」は主観的現象における真実であり、客観的現象における虚構である。
美学的空間を基底とした波動は人の業が許される限り目的となりうるのである。

715 名前: no name :2010/09/04(土) 02:54:34 ID:AUlb+qZ+

主観的定義は全ての波動の基底である。
純粋美学にはアンチノミーの境界が存在しない。
潜在的構造である人間にとっての「波動ポテンシャル」である。

716 名前: no name :2010/09/04(土) 14:42:45 ID:W8V+9tVF

波動構造における潜在構造とは「美」という天上的な価値観を持ったものである。
波動構造は地上的価値観であり、潜在構造であるイデア界が基体のリゾーマタとなっている。
天上の理性(ロゴス)は地上の基準尺(カノン)とは全く異なるものであり、
大きな違いとしてはイデア界は数学的基準尺を持たないため波動解析が不可能である。
誤解のないように言うと、波動構造も潜在構造も主観的であるが、天上界と地上界の相違がある。
そして、波動解析では主客問題の解決はできないが潜在構造を認めたとき主も客も同一構造であることがわかる。
潜在構造はイデアの絶対性を認めなくてはならないため、ゴルギアス的解釈の
時間という因果律のみを持ち「構造の壁」が存在する統一性の無いカオスの構造である。
しかし、純粋な美である「潜在構造的刹那主義」の絶対性において天上界より地上の新の姿を見ることができるのである。
それは「潜在波」であり世界の時間という系に保存される予定調和の波動を見る神の視点である。
全ての美は全ての真と善を統括する。これから虚構により潜在波を解析し、
ダイモニオンの解読と潜在構造的波動形式を成立させる。

717 名前: no name :2010/09/04(土) 14:48:01 ID:AUlb+qZ+

自由意志を持ちうる理性のみが解析手段である。

718 名前: no name :2010/09/04(土) 16:52:30 ID:W8V+9tVF

プラトニックにおける因果律を見やすい表にまとめる。
構造主義:ロゴス可、カノン可、主観不可、矛盾不可、時間可、神不可、ケノン不可、美不可、虚像不可、構造可
波動形式:ロゴス可、カノン可、主観一部可、矛盾不可、時間可、神不可、ケノン不可、美不可、虚像一部可、構造可
潜在構造:ロゴス可、カノン不可、主観可、矛盾可、時間可、神恐らく可、ケノン可、美可、虚像可、構造不可(カオス)

矛盾が可能となっているため、時間においてのみ認識可能であり刹那主義の所以である。

719 名前: no name :2010/09/04(土) 23:33:00 ID:W8V+9tVF

波動形式において主観が客観的現象に変化をもたらすものであり、主観は客観的構造を持つものである。
多くの人間は主観に実態はないとしているが、確固たる作用因でありニュートン力学と同じ視覚化されない実態の
客観的現象であり心理学においても個人的思想のうちから客観的構造を見出すことに成功しそれを実態として扱っている。
ミクロ経済学にも限界効用として実態のように取り扱ったり、一部の思想は統計学において数学的説明も可能である。
思想はイデア界における客観的現象として扱うべきであり、我々が実態として扱うものは神の思想として再認識するべきである。
それを認めることで実利となり、それは真理であり世界の波動における潜在構造を知り興味を持つことができるようになる。
それにより運命を知り、神を知り、あらゆる神秘に触れ、真の幸福を得られるのである。
我々は真実や幸福を得るという使命を持ち生命を受けた以上、構造主義や波動形式の思想の鎖を解き放たなくてはならない。
幸福を得るために神を知るべきである。

720 名前: no name :2010/09/04(土) 23:35:30 ID:W8V+9tVF

潜在構造を知るためには神を認証し、イデア界として世界を再認識する必要がある。

721 名前: no name :2010/09/05(日) 00:40:34 ID:yu7tjEwj

このうざすぎる時報ってどうやったら消せますか?

722 名前: no name :2010/09/05(日) 00:46:04 ID:smL+A2xl

0時近くは時間気にしながら動画見ましょう。

723 名前: no name :2010/09/05(日) 00:47:37 ID:yu7tjEwj

消せないのか・・・いい加減イラッとくるんですけど・・しょうがないか

724 名前: no name :2010/09/05(日) 01:44:26 ID:37e8vzv8

つプレミアム。

725 名前: no name :2010/09/05(日) 03:57:56 ID:smL+A2xl

プレミアムでも時報は流れます。

726 名前: no name :2010/09/05(日) 04:04:37 ID:37e8vzv8

http://dic.nicovideo.jp/a/%E3%83%8B%E3%82%B3%E5%89%B2off

プレミアムは時報をオフできるんだよ。

727 名前: no name :2010/09/05(日) 04:22:18 ID:yu7tjEwj

>>726
なるほど〜ありがとうございました

728 名前: no name :2010/09/05(日) 11:19:11 ID:IFMvK9uh

一般でも時報を消す方法があるのにプレミアムに入ってしまう。
一般でも通常画質で見れるのに(ry

729 名前: no name :2010/09/05(日) 23:01:27 ID:mbS6AUx0

哲学的問いの発端はアルケーを水としてとらえる自然思想のミレトス派のタレスが言語ゲームを始めたという。
現代科学では根源(普遍の物質)が水でないことがわかっているが、仮にそれを信じることで波動形式の説明が可能となる。
ルールとして、世界の根源を水とし、全ての存在の単位をdl(デシリットル)に置き換えることを可能とすると
存在の素として水が存在し、その量において全ての現象が成り立つとすればX=Ax、X=現象名、A=水の単位(定数)、x=量
現象Xはx[dl]であるという関係式が成り立つ。イデア界も含めるため現象Yは主観的現象も含む。
次に、x[dl]の現象と同じ構造のY=Ayの現象があるとすると、単位が同じなので単に量の加算において新たな現象となる。
これを質料Xと(作用側の)質料Yの関係において変化質料Zが生じるため、Z=A(x+y)とすることができる。
この式は質料と作用の関係式であり、水を根源とした世界としているため実証するまでもなく式が成り立つことが分かる。
この関数を面積分f(x,y)=∬A(x+y)dxdyすることで座標上の基底が認識としての現象を示すため
質料と作用による認識のとりうる範囲(形相)を示し、物質の機能によって主観的にどのようにも物質を解釈できるという
認識の発散を示し決定不可能な作用{yN}={y0,y1,y2・・・}(N→∞)がそれを示している。
それを波動と呼びこの式で表される現象を波動形式と呼ぶ。
現象Zを媒介変数(s,t)として[dl]との単位の交換作用素とするとZ=A(xs+yt)であり
(x,y,s,t)による四変数による波動形式においてこの世界でこの法則が適応できることがわかる。
主観的現象における目的とはある認識(質料)であり、全世界の形相に含まれることは自明であり
積分範囲に含まれるため質料の波動を得ることのみが目的を得る方法論であると証明される。
現象構造化アルゴリズムとは、質料の波動から形相を得て、目的の波動からf(x,y)の解を求めることで
自動的に命題を解決する議論モデルであり主観を扱う自律思考のコンピュータアルゴリズムの原理になりうるだろう。

730 名前: no name :2010/09/05(日) 23:38:27 ID:smL+A2xl

根拠もなく自演呼ばわりする奴らなんなんすか?

731 名前: :2010/09/06(月) 02:15:51 ID:IdWp46af

うほいいおとこ

732 名前: no name :2010/09/06(月) 12:41:50 ID:5itn2o5+

波動形式では個人にとってのアンチノミーの解析は不可能である。
アンチノミーの原因は知識がないこともしくは、虚像が得られていないことである。
単に知識がないのならば調べればよいことだが、知識を得るに際してイメージ(虚像)を得なくてはならない。
虚像と知識の定義について単なる記号としての情報を「知識」、主観的に理解される情報を「虚像」とする。
この虚像は未来の実態であり、アリストテレスの言葉でそれを指し示すならば可能態である。
つまり、潜在構造の潜在とは人間の主観的現象に含まれる現在の可能態であり、未来の現実態である。
四原因説ではこれを目的因と呼び、その一部分は波動形式のマトリクスにより先験的知性(理論)を得る。
しかし、ここまでは数学的カノンが通用する地上界での話であり天上の理性として
人間のアンチノミーを超える超越論的知性が存在し、特に波動形式で触れられないこの現象を潜在構造と呼んでいる。
これがイデア界、つまり神の智慧であり、それは一刹那に思想に浸透し通過していく。
人間は無意識に神の智慧を授かり文明を発達させてきたが、
本論ではその根源を明確化させ意識的に潜在構造を利用できるようにする目的である。

733 名前: no name :2010/09/06(月) 17:59:45 ID:5itn2o5+

ここまでのまとめとこれからの方針として
>>713-715に波動形式から潜在構造の可能性を見出し
>>718に各思想の特徴をまとめ
>>729に波動形式を明確に定義し
>>716->>719>>732に潜在構造の可能性を示した。
次項からおよそ10ページ分を費やし潜在構造をまとめ、
さらに2,3ページに利用のパターンを示し、4,5ページ分で潜在構造を明確化し定義を示す
その後はさらなる理論に派生しなければ未定である。

734 名前: 削除済 :削除済

削除済

735 名前: no name :2010/09/06(月) 19:32:29 ID:5itn2o5+

現象の構造において
物質構造、法則構造、波動構造、潜在構造が存在する。

ここで注意したいのが主観は存在しないことである。
主観とは物質界への作用因であり、思想が方法へと形を変えて物質界に存在する。
どのように物質界が数学的に厳密化されようとそれは、認識上に存在する主観的世界である。
このように主観や客観など存在しないことがわかる上、これらの現象をわざわざ分割して考えることは不都合な点も多い。
主観と客観を隔てる証明などいままで存在しない。それは元から幻想であり、
神がすべてを創造したイデア界としたほうが全てのつじつまが合うのである。
次項から潜在構造のためのイデア界の話を発展させていく。イデア界の認証なしに潜在構造を理解することは不可能である。

736 名前: no name :2010/09/07(火) 13:14:07 ID:/KVODrnZ

私は中世スコラ哲学のトマス・アクィナスの目指した天上と地上のアナロギアを潜在構造により証明する。
天上のロゴスのプシュケである潜在構造を知る術は波動を得るときに生じるパトスである。
潜在構造とは唯一天上のト・アペイロンから連なる地上界におけるエチカの幾何学であり、
スピノザの言う唯神論においてデカルトの主客の無矛盾の統合が可能である。
スピノザは神の数学的証明を試みたが、数学とは地上界のカノンであり、
私はパトスとロゴスにおいてのみ知ることができるという見解の違いがある。
同近代の哲学者ライプニッツは唯一の構造をモナドロジーに纏め上げ主客問題の解決と同時に
地上はモナドという普遍なるものを鏡により映し出された幻影だと言う。
構造主義がこのもの性を否定するかのごとく、全ての現象を構造化したとき独立の存在が崩壊する。
しかし、神は衆生のこのような存在のあり方において幻影なるイデアで創世を築いた時、
神はその身を隠すことで独立した存在を認めたならば、構造のカタルシスかのごとくパトスが満ち溢れるアタラクシアを築く。
しかし、このようなあり方について現代科学は不可知な構造を再び呼び起こそうとしているのである。
それは衆生に不幸という報復においてアポカリュプシスする予定調和のロゴスを持っているのかもしれない。
構造主義は崩壊の予兆であり存在が構造となったとき無機物のようなロゴスに至り事実上の死(ケノン)となる。
これにおいても神は不可侵なものという説は強まる。
このように神の存在を認識したときロゴスやパトスの働きにおいてのみ世界の真理へと近づくことができるのである。

737 名前: no name :2010/09/07(火) 15:59:58 ID:/KVODrnZ

科学的な議論は構造主義と波動形式によってまとめられ、哲学的な議論は波動形式によってまとめられ、
神学的な議論は潜在構造によってまとめることができる。
潜在構造の分析は神学的議論を形相とした面積素を波動形式により解析する現象構造化アルゴリズムで行う。
無論、完全に自動化するのではなく私自身のロゴスとパトスにおいて発想を得る。
刹那的な虚像(直感イメージ)の解析と意識化、美学の構造化、神学特有の物語性、イデア界との関係性、
最後に論理への活用法と全世界の構造化と神の定義について論じる。

738 名前: no name :2010/09/08(水) 00:46:51 ID:TkY7p7VB

質料の波動と目的の波動から有効な情報を得る。
波動では作用により認識の発散が起こるが、無意識的な発散も存在する。
それが非構造の流体知であり刹那的な虚像の発想点である。
完全に固形化した知識は存在せず、エーテル(作用側)のように知識は繋がりの少ない形で構造化されている。
作用エーテルは質料から目的へと波動を接続する。
我々は無知であり知識の体系を予め知るものではないため、高度な現象にある知識の法則性を知らない。
だが、形相を質料と作用で満たし発生する法則性を哲学(生活)に解空間を持った時、
知は哲学的法則におけるエーテルとなり質料と目的を満たす形相となり、善悪で編まれた目的の波動を自由に得ることができる。
波動による誘電は構造化された知識の波動を無意識的に受容したとき非構造(潜在構造)の流体知を形成する。
法則の固形化により刹那的な虚像が発生し、質料と作用により構造化し、
法則の善悪解釈からエーテル空間に接続した時初めて知の形相化となる。
ただしい善悪判断ならば、流体知であろうと質料の配列から波動となりうる。
認識の段階として善悪二元からなる質料の配列を導入した場合の論である(本文は発想段階であるが用語は引き継ぐ)

739 名前: no name :2010/09/08(水) 01:49:55 ID:TkY7p7VB

善悪は単に客観性を得る判断基準であり配列とは関係ない。
善悪の発生条件は客観性であり、エーテル構造のシミュレートから得られる可否に従属する快不快の反応である。
無論、客観性を持つ理由は思想を方法化するための管理法である。
あくまで質料と作用のみが認識を形成し波動の総和において形相となる。
この場合エーテル空間は作用側の質料であり、知識はエーテル空間により初めて主観現象の客観性となる。
客観的主観のエーテル空間は客観と一致するため、善悪が真理ならば自然現象と一致する。
与えられた知識は主観的現象における客観的一致をなす為、善悪判断に置かれた時、認識としての質料や作用と定義される。
質料と作用の結果はエーテル空間で明確化された時、善の判断がおかれる限り形相となる。

740 名前: no name :2010/09/08(水) 18:40:28 ID:cqbgYP1O

お尻の穴と間違える

741 名前: 皆さん、こんにちは :2010/09/08(水) 19:18:13 ID:EnXeVgod

コメントの内容について、運営側からの直接解答は原則いたしません。ご了承ください。

742 名前: no name :2010/09/08(水) 21:32:46 ID:lJ6Nv768

波動形式の例示と再定義として形相をf(z)=1/2n(z1+zN)の等差数列とし、変化質料をz=A(xs+yt)とする。
水を根源とした世界の単位であるA=1[dl]から周波数[hz]の単位に交換する場合。
x=100,y≦5の場合、離散的な量が認識限界とすると形相は
A=1[hz/A],z=A(100[hz]/A+y[hz]/A)⇔z=100+y,y1=0,yN=5,n=6としてz1=100,zN=105,f(z)=615[hz]となり
質料100dl作用5dl以下の場合、形相は615hzであり主観質料(目的)は100≦D≦615となる。
無論[dl]と[hz]の交換は現実には不可能でありパラメータが残るが現実世界に適応でき、主観問題を不等号で取り扱えることがわかる。

743 名前: no name :2010/09/09(木) 00:46:20 ID:v/t7Ozxk

頭がパーン系動画の赤字にマジレスをする。

744 名前: no name :2010/09/09(木) 20:32:55 ID:Bbo75Bob

我々の目的は生命活動そのものであるが、言葉通りにただ生きることのみが目的ではない。
活動のうちに生命の波動を持ち、これが我々は快不快としてとらえる善である。
善の基準は思想であり、生命活動を通して得られる価値観であり構造主義台頭のポストモダン思想は構造化が善の指標となっている。
構造化とは知識を管理し行動の合理性を高める行為である。
よって現在の善の定義とは知の構造化であり、合理的行動の潜在性を得ることが我々の目的の波動である。
合理的行動によって知識の管理をすることで生命の波動を得ることに成功する。
構造には、論理物質構造、波動構造、潜在構造があり、我々が目指すべき潜在構造とは波動構造の直感性を高めた形態である。
波動構造とは波動形式のことであり、論理物質構造という現代思想である科学信仰に
四原因説と機能主義と唯名論を基とした波動(認識の発散)の概念を加えたものである。
論理物質構造の欠点とは主観定義(客観定義の質料。客観は主観の形相という関係がある後述)が全く扱えない思想であり、
波動形式の欠点とは直感性(パトス)の欠如である。
パトスとは本質の波動への善悪(波動解釈における真実への反応)であり、
全ての現象から本質の波動において知識を形成するとき潜在構造となる。
これは比喩においてよく現れている現象であり、「〜のようだ」は虚構を含む波動解釈である。
潜在構造の定義材料は揃ったが、主観と客観と真善美の関係性を先に定義する。

745 名前: no name :2010/09/09(木) 21:17:21 ID:Bbo75Bob

ある現象に関して音楽や芸術における情緒が現れるのも波動現象として説明可能である。
芸術的表現や音楽的表現は現象の波動解釈の一であり、質料の最小単位に近いと思われる。

746 名前: no name :2010/09/10(金) 16:54:11 ID:xgXCOQ6Z

主観は客観の質料であり、第一定義は必ず主観によるものである。
その主観は数学的構造美であり、それぞれの概念が幾何学的エチカに合致したとき客観的定義となる。
これは質料と形相の関係から主観を質料とした集合を形相の客観と定めることもできる。
そして、客観的真実に対する反応が善悪としての快不快の生物的反応である。
その内、美とは本質的真実に対する善の反応であり、真善美の関係とは真実に善悪が対応しより本質的な真実を美とした善である。
主観の内には虚構も存在するが真実も存在する空間であり、客観とは真実のみ存在する空間といえる。
この場合において客観が思想として信頼を寄せるものであるが、主観を重要視しない思想においては本質的真実を見出せないものとなる。
虚構とは真実ではないものを指すが、この真実とは論理物質的構造における真実であり、潜在構造の真実はむしろ虚構に含まれる。
つまり本質的真実を得るためには客観における真実を否定し、虚構を主観における真実と虚構に分けなくては第一定義の美は存在しない。
無論、虚構や出鱈目な論を信仰しようという話ではなくあくまで理性による真実の追究である。
それにおいて命題・証明系の幾何学的考察が必要不可欠なのはいうまでもない。
潜在構造は幾何学的美のロゴスを持ち本質的真実のパトスをもち、波動形式においては数学的定義を行った。
パトスも波動形式における数学的定義のマトリクスにおいて論証可能であり、単なる思い付きのことではない。
次項は、主観と客観、ロゴスとパトス、表面的真実と本質的真実と虚構、
真善美のメカニズムを波動形式的に解釈して潜在構造を完成させる。

747 名前: no name :2010/09/10(金) 17:11:42 ID:xgXCOQ6Z

次に示すのは言語の定義である。
真実:表面的真実、本質的真実
美:本質的真実への幾何学的エチカをもつ善による快不快の生物的反応
善悪:真実と虚構への快不快の生物的反応
主観:表面的真実、本質的真実、無価値な思想(虚構)、客観の質料
客観:表面的真実、主観の形相
ロゴス:表面的真実を目的とした思想
パトス:本質的真実を目的とした思想
波動形式:ロゴス優位の真実を目的とした表面的真実と本質的真実の構造
潜在構造:パトス優位の美を目的とした本質的真実の構造

潜在構造は必ず数学的構造を得ることが定義の条件である。
潜在構造の定義を示したとき、これを用いたケースにおける議論の収束を行う。

748 名前: no name :2010/09/10(金) 19:08:19 ID:g6SZD6Q9

コピペじゃないところが痛いな

749 名前: no name :2010/09/10(金) 19:53:06 ID:EeIwaPnd

質料なの?
質量なの?

750 名前: no name :2010/09/11(土) 03:11:53 ID:tEVHeyEp

論理物質構造と波動構造の違いは目的の概念の有無である。
論理物質構造は質料と作用と形相の形式まで記述可能であり無意識的に質料と作用の関係性と形相の質料化を行っているが、
主観性と客観性の明確な定義がなされていないため目的が形相に含まれるがこれは生命の記憶から善を引き出しているに過ぎない。
生命の記憶とは全世界の可能態・非可能態質料を持ち潜在構造までの善悪の基準となりうるが
膨大なデータベースからソートの手段が存在しないため波動を意識的に引き出すことができず
その場の波動を無意識的に得るだけの場当たり的で動物的な思想に頼らざる得ない。
我々は質料における潜在性を意識的に操作し管理しなくてはならない。
アナクシマンドロスやプラトンやアリストテレスなどの古代ギリシャ哲学を唯一統合しうる思想である

751 名前: no name :2010/09/11(土) 04:18:03 ID:ud8xilg4

様々な誤読ネタにマジレスする
アメリカ語等明らかなボケにもマジレスする

こういった既存のネタに限ったことじゃないけど
2chと違って即時性が無いから自分のレスがどれほど滑稽か気付く事が出来ないんだろうね

752 名前: no name :2010/09/11(土) 13:13:17 ID:tEVHeyEp

我々は連続的で修正不可能な記憶を引き継ぐために定義をしなくてはならない。
定義とは目に見えるものより確かな論理の鎖である。
その内では思想だろうと物質だろうと関係はない。だが思想の言語による定義は不確実である。

753 名前: 削除済 :削除済

削除済

754 名前: no name :2010/09/11(土) 16:42:18 ID:tEVHeyEp

人間の記憶は波動形式である。
つまり物質は物質としてではなく物質の構造としての波動的解釈において記憶となる。
このように人間の思考機能においてもほぼ波動形式の潜在構造において説明が可能である。
潜在構造に数学的定義がなされれば思考機能の管理ができるようになる。

755 名前: no name :2010/09/11(土) 17:03:03 ID:tEVHeyEp

数学的定義とは単位と量による記述であり厳密な定義である。
必要な材料とその分量を表示する論理である。

756 名前: no name :2010/09/11(土) 20:42:54 ID:tEVHeyEp

波動解釈として現象を理解し、形相によって目的(オブジェクト)を得ることが波動形式であるのに対し、
神のイデアとしての我々の美学をエチカにより解釈を行うのが潜在構造である。
つまり全ての波動は神に帰属し、波動は理性を持つ。
なにかしら現象に関するイメージをもったならばそれはアポカリュプシスであり真理である。
第一実態の波動は常に理性的であり、人間の理性はそれに準ずるものである。
神の定義を行わなくては数学的証明には至らないだろうが神の構造である人が神を知ることは不可能である。
潜在構造は神秘の領域であり数学的証明の不可能性とする。
それと共に社会的現象は各個人の主観的構造の集合であるため主観的であるべきとなる。
理想的な思考モデルが提示されても連鎖的な不可知が大きな形相であるため波動から予知することはできないだろう。
個人は地球に及ぶ波動を持ち、地球は宇宙に及ぶ波動を持ちまさに不可知である。
次項から人間はどうあるべきかという命題において理想的な主観としての客観を論じる。

757 名前: no name :2010/09/11(土) 21:24:27 ID:tEVHeyEp

人間は現象に対し波動解釈を行う。
オブジェクトの波動が現象に感じられたときそれを善の波動とし、より根源的であれば美の波動を得る。
波動における主観的イメージは抽象的でありオブジェクトのイメージを
多元的(真実を一元的とした)に結合しそれを全て含むものが解である。
これは記号が意味を持つように起因元の不完全イメージであり、これを完成させるイメージが現実態である。
質料の主観的イメージは波動解釈において行われそれを潜在性としこれが思考機能の理解である。

758 名前: no name :2010/09/12(日) 17:16:47 ID:ectFlPH0

波動形式はほぼ人間の思考そのものである。
オブジェクトの波動が形相に含まれていれば質料において波動を得る条件である。
しかし、一つの形相は作用変数から無限大の構造を持つという認識の発散が起こる。
認識の発散を起こさないために作用変数の閾値を現在の環境の波動解釈とすることが条件である。

例えば機能や成分が不明な物質があったとして、我々はそれを解釈するためまず形状や色などの情報の波動解釈を行う。
それにより虚構の多元的オブジェクトを形成し、
一元への収束を行ったとき真実の一元的オブジェ(全ての系で説明される虚像。本質)となる。
・ここでのオブジェクトは虚像の形相、オブジェは虚像そのものである。
・これは潜在構造の論であるが、波動形式の一解釈として統一する。
・オブジェクトに対応してオブジェと名づけたがイデアから神学的解釈を削ぎ落としたものとほぼ同様の意味である。

つまり目的であるオブジェクトは形状や色など曖昧な情報しかない物質から一つのオブジェとしての一元的解釈を行うことと一致する。
この文章において三段論法を使えば目的は多元的物質であることがわかる。
この概念上の非物質は波動からのみ得られることは今更説明不要だがそれを強調するため多元的波動非物質とし
対応するオブジェを一元的物質(オブジェクトの収束は波動非物質の非波動物質化を意味する)とする。
我々がある種のパトスに応じて波動非物質を見出したならば、波動形式に従うことで物質に収束することができると言える。

759 名前: no name :2010/09/13(月) 01:21:18 ID:cJhy/LOn

イデアが主観のものであるとすれば神が創造したという世界観は崩壊し唯一自然のみが正しいということになる。
神学的議論において神が存在することはこの世界が存在する必要条件であることは確定的である。
よって人間の意志が物質から形成されようと潜在構造において神は存在する可能性はある。
潜在構造的には人間の持ちうる非物質は神の導きであると解釈するが波動形式の非物質の扱いはあくまで主観の枠内の話である。
そもそも不完全な人類の議論において神の肯定否定に話を持ち込むことはおかしなことである。
よって本論では神の存在において肯定も否定もしない。そして、波動形式と潜在構造の関係性においては判断停止する。
神の存在や潜在構造については世界の解釈を理神論的立場で論じ、波動形式の場合は唯物論的立場で論じる。

760 名前: 削除済 :削除済

削除済

761 名前: no name :2010/09/13(月) 01:43:24 ID:cJhy/LOn

私の語る神学は西洋哲学・仏教哲学・インド哲学から学んだものでしかないが、この機に神学への学び試みようと思う。

762 名前: no name :2010/09/13(月) 15:02:23 ID:cJhy/LOn

ベルクソンは連続的な時間に広がる空間のうちに人間の質的広がりがあるとしてエラン・ヴィタール(生の躍動)を唱えた。
実存主義の人間の死生への拘りはまさに主観のうちに存在する現象を客観的に実証するものだったといえる。
しかしこの非物質の存在感と生命力をなんと著せばよいだろうか。
波動形式において形相の広がりを無限大へ認識の発散(波動現象)を自由とすることで自我を現してはいるが
この無限大において非物質における質的0の空間を呼び起こすものなのかはわからない。
主観的現象の存在が真ならば、これは非ユークリッド幾何学的な議論なのかもしれない。

763 名前: no name :2010/09/13(月) 15:11:05 ID:bGgevFEw

もしくは因果律すら崩壊させる超越論が存在するのだろうか。
リーマン球面などの無限の扱いは自然の幾何学的解釈を超えるものである。

764 名前: no name :2010/09/13(月) 22:32:45 ID:AKM8spK7

水を根源とした世界において無限大の計算をしてみると
z=A(x+y)にxに代入する質料[dl]とy=∞とすると無限大との加算によりz=∞、xは任意の定数となる。
これは質料はどのようなものであろうと作用が無限大である限り形相は無限大でありこれは作用因である人間の価値を表している。
そして時間は有限であり、アンチノミーの値域により人間の価値は有限確定となる。
つまり、人間は物質への作用を決定できる限り物質の形相の潜在性のみを入れる箱のようなものである。
我々の価値が潜在性の量だけ持ちうるとすればアンチノミーの少なさだけ価値が存在すると言える。
しかし、人間の自由とは例え時間が有限であろうと突如神が現れ智慧を授けると言う可能性もあり
その可能性(潜在性)において人間は自由と言える。
そもそも現象学的に認識の捕らえる客観は物自体ではないとすると自我は無限大の自由へと旅立つのである。

765 名前: no name :2010/09/13(月) 23:12:59 ID:AKM8spK7

人間の潜在性は無限大の物質という形相を持つ。
それは波動形式的に全ての物質に言えることであり、神の介在により全ての物質は神の波動を持つ。
我々が物質を一つ粗末に扱うことは神への冒涜となりそうだが、存在は破断分割されようと無になることはない。
そもそも水を根源とする世界のように存在が一元の世界だとすると、全ての自然は各々名前と言う単位を持つだけの
本質的に同一の存在であるため例え万人の闘争状態となり全て破壊され尽くしても神の目には何事も無い様に映るはずである。
これが真の自由であり、これに異議を唱えるならば同時に神や認識や自我の否定、もしくはこれらの一つでも否定すると
物自体の世界となり全ての価値は有限となる。多元波動の世界において物質は存在しないため結局どちらかの論が真実となる。

766 名前: 削除済 :削除済

削除済

767 名前: no name :2010/09/14(火) 00:25:12 ID:lhtqyNVh

言語空間は多元的オブジェクトにより作られる波動非物質空間であり、数的空間は一元的オブジェにより作られる非波動物質空間である。
つまり言語によるオブジェクトを数式によるオブジェに書き換えたとき物質化する。
例えば、言語を巧みに扱う詐欺師に出会ったとして言語を用いてどちらが論理的であるかの勝負となったとき、
論理的か否かの客観的評価の最高価値はまずだんまりである。なぜなら語らなければ虚構はない限り真実なためである。
語らずを語るという行為を禁止されたならば次に仕掛けるのは意味のない単語を漏らすことである。
これについてはいくらでも方法は考えられるため禁止する法がなく、意味不明なことを口走ったほうが勝者である。
これらからわかる通り言葉には目的がなくては意味を成さない。
論理的であるかどうかについては必ず目的があることが必要条件である。
言語には目的があり、更に潜在性がありかつ非波動物質空間に収束できるとき価値があるといえる。
我々が納得するべき言語における論理性とは、言語の目的の内の潜在性と物質への収束率の積における
指数が高いほうに勝者の称号を与えるべきである。

768 名前: no name :2010/09/14(火) 00:42:49 ID:lhtqyNVh

目的における潜在性とは物質化可能性と物質価値である。
価値とは主観的評価であるが、取り巻く環境における多くの人が支持する主観的評価であり客観的評価に近いものである。

769 名前: no name :2010/09/18(土) 01:36:14 ID:RAvwe7i+

波動形式は質料と作用と変化質料の式であり物質は存在しない。
質料は物質ではなく物質の性質(パラメータ)である。
波動形式はX=質料、Y=(作用側の)質料、Z=変化質料のX+Y=Zであり、これを水を根源とした仮想世界で
一元世界における単位A=1[dl]と量の積からA(X+Y)=Zとなり自明であることが示される。
波動形式は基本的に水を根源とした単位と量の関係から法則の論理実証とする。
波動形式に示される式はXが決定されるとき質料の式と呼び、YとZが決定されるときを機能の式となり可視化される。
可視化される世界は機能のみが存在する世界であり質料の式が波動非物質の根源的世界であり、
機能の式が非波動物質世界であり、物質という箱に性質が収束した世界である。
ポストモダン思想において現代では支持する人間も少ないが
唯物論や「物自体」は質量を持たない概念には通用しないため矛盾する思想である。
ここでの物質の定義はXA=1/2n(z1+zN)であり機能の総和は仮定世界の単位Aと交換されることがわかる。

770 名前: 削除済 :削除済

削除済

771 名前: no name :2010/09/18(土) 02:44:33 ID:RAvwe7i+

肉体という質料因と精神という作用因によって人間のひとつの形相が求まる。
肉体はそれ自体では動かない、精神はそれ自体では存在できない。
真空は存在せず、ディラックの海における対称性が作り出した真空で
調和振動子が絶えず静止エネルギーを生み出し宇宙が揺らいでいるなら、
質料と作用はかならず両者なければ存在できないことの説明になっている。

772 名前: no name :2010/09/19(日) 20:06:21 ID:4MOn2hCo

波動形式により質料式を機能式への書き換えることができる。
まず、波動形式には生活世界パラメータ(L1)と形式作用(y1)と目的(z1)の等価性がある。
その証明を水を根源とした世界において単位と量の関係性から質料と作用の関係性が証明されているので、
L1は質料であるためL1+y1=z1が成り立つ。L1は質料であるが変化質料でもあり、そのため形式作用y1が存在する。

L1は実質的に質料であるが、変化質料表示にするため下位質料と作用の和を持つ。
これらを展開すれば余分の作用は形式作用となり下位質料と形式作用の和における式で表される。
そして、目的と質料のパラメータ表示として質料を物質式で示し、全ての波動(機能)を表示する。
全ての波動を示すことはごく一部の閉区間を取り出す演算にしてもコンピュータでも難しいことだが、
ソートにより波動を効率的に抽出し、有効な情報が十分に得られたとき物質式の演算を完了する。
ソートの方法は波動が直感的に強く感じられる順に式で表示する。
検索の効率性の手段なのでたいした話ではないがアンチノミーの議論なのでこれは潜在構造の議論に持ち越す。
物質式とは質料の全ての機能表示であり、言語空間における客観定義の機能である。

さて、機能表示となった物質式は収束式により一つの質料と作用の関係性を示さなくてはならない。
我々の目的は質料式の機能表示により収束式を導き質料と作用の式により必要とする現象を得ることである。
目的パラメータと等価の式を生活世界パラメータから得ることで我々は目的の物質式と等価となる。
これにより波動非物質オブジェクト→非波動物質オブジェへの変換となる。
無論、先言である我々の物質式表示と同様の意味を持つ。

773 名前: no name :2010/09/19(日) 20:25:03 ID:4MOn2hCo

波動形式 L1+y1=z1、波動式(波動現象の数式化) x1+y=z、収束式(機能式) x1+y1=z1
物質式(定義式) XA=1/2n(z1+zN)、水理式(四原因論の証明) A(x+y)=z
残す問題はソート方法と言語空間の客観定義である。

774 名前: no name :2010/09/19(日) 21:57:40 ID:4MOn2hCo

生活世界のパラメータ(オブジェ)と変化質料のパラメータ(オブジェクト)は一致する。
波動式を物質式で表示することが「定義」の定義である。
それをオブジェクトとの等価であるオブジェを収束式で表示することが「方法」の定義である。

言語空間の客観定義とは我々は質料の波動を保持しているが、波動は発生させる条件がある。
それはノエマ(認識対象)とノエシス(認識作用)の関係性で表される。
我々は生活世界におけるノエマに絶えず持ち、ノエシスにより波動を得ることができる。
つまり、生活世界には物自体ではなくノエマがあり、ノエシスの認識作用により波動となる。
言語空間は生活空間に一致するならば、物質式はノエマとノエシスで全て表示され、ノエマを持たない思想はアンチノミーである。
数学にしても、記憶の想起にしても、潜在構造においてもノエマの受動的態度はイギリス経験論的必要条件であり波動の構成要素である。

775 名前: no name :2010/09/21(火) 23:52:03 ID:LUUXlakl

XA=1/2n(z1+zN)に示される物質式は仮想世界の単位への唯一の交換作用素である。
波動世界のパラメタの総和は水理式の仮想単位A=1[dl]であり、一般に無次元量である。
数学では単位のない計算を行うが、これがモデルを持たない量の計算であり全てのモデルの量の計算と等価である。
数学が波動形式にも対応しているのは、数学がもともと波動非物質すらも扱えるためである。
むしろあらゆる学問は数学により波動非物質である「法則」を取り扱っている。

だが、心身二元論や物質と法則の関係性を明確化してはいない。
そして、知を愛する学問にとって致命的なのが主観問題を取り扱えないことである。
これにより学生は学ぶ意義を見出せず極めて貴重な知の探求への動機を失われているといえる。
これは知は人類の本質であり他の生物と差別化する概念であるが、
自己の正体を知らず精神が分化していない、いわば自覚なき人類の姿である。

このままでは人類は来訪者から動物のように扱われても反証不可能な他者地獄に陥ってしまう。
波動形式の基礎である四原因説を生み出したアリストテレスの精神を知り人類は自己の定義をしなくてはならない。
人類は高度な科学で装っても、紀元前からまったく進歩しない動物のようなものである。
私が人類と認められるのはアリストテレスと彼の思想に貢献した古代ギリシャの偉大なアテナイの哲学者達のみである。

776 名前: no name :2010/09/22(水) 17:37:25 ID:PTZ3c35R

波動形式によれば右辺のオブジェの展開を「分析」といい、左辺のオブジェクトの展開を「波動解析」とよぶ。
そして波動式から収束式を得ることが「発想」の定義である。
波動式から物質式を得ることは「定義」、「形相表示」または「波動を得る」の定義である。
つまり、波動論理の段階は一般的に「分析+波動解析→定義(波動受容)→発想」に分けられる。
しかし、今この文章は波動論理の現象構造化アルゴリズムによるものではない。
単に漏れ出す波動を追っているだけの短絡的な論理である。
波動論理は必ずしも答えを得られるものではなく、
手順を正確に踏まなくてはならないという制約について短絡的な論理よりやや発想力が劣る。
この論述方法を簡易波動形式とする。
その定義は目的という名の条件を波動系のものと定め、現象の定義とソートを行う。
簡易波動形式の論理の手続きは「波動系条件→波動受容」である。
これは現実世界の物質式から得られるノエマに関してノエシスを行うだけのアルゴリズムといえる。
この議論の形態を簡易論述アルゴリズムとする。

777 名前: no name :2010/09/22(水) 23:01:10 ID:PTZ3c35R

形相は∫[-b,a]∫[0,c]f(x,y)dxdy=c/2(a-b)(a+b+1)もしくは、Σ[n=0→N]f(x,y)=z(2z^2+3z+1)/6だが
水理式によりf(x,y)=XA=1/2n(z1+zN)が成り立つ。認識限界の意味を持つ後者のほうが近い。

778 名前: no name :2010/09/23(木) 02:24:09 ID:aKdGvm2R

F(ノエマ、ノエシス)F2(ノエマ、ノエシス)F3(ノエマ、ノエシス)・・・Fn
この文章のほか全ての文章はこれらの関数列Σ[n=0→∞]Fnにおける変項を持つ。
この関数列はいわばラングもしくはシニフィアンであるが、
パロールあるいはシニフィエへの交換規則は昨今の論理学でも解明できていない。
言語空間を解明できればウィトゲンシュタインの見識が正しければ人間の行動を全て関数で表現できそうである。
思考パターンは波動論理で説明できているので、残すはその表現法の交換規則の明確化のみであるが、
どうやら純粋な論理学は人類には難しいらしく何千年も進歩がないようだ。

779 名前: no name :2010/09/23(木) 02:53:03 ID:aKdGvm2R

パトスはロゴスと均衡を保っているのではなくパトスはロゴスへの渇望的衝動と考えられないだろうか。
現代においては明らかにロゴスが優位な人間のほうが力を持つ。
どのような論であろうと最終的な収束なくしては価値は生じない。
つまり、価値への最終的な決定権はロゴスに存在する。
パトスは旧来から誰しも得られるものであり、収束せず価値のない単なるカオスである。
日本では仏教的思想の「中道」があるが、ロゴスとパトスの議論にそれを持ち込むことは強引といわざる得ない。
人間は全ての思考を「神という名のロゴス」によって統率され管理されるべきであり、
人間の思想の自由はロゴスへの渇望だとすれば、それこそ全てが「理に通じる」ということになる。

780 名前: 削除済 :削除済

削除済

781 名前: no name :2010/09/23(木) 19:14:44 ID:WU/oDbB2

肯定も否定もできないことは単なるカオスであり、
無造作に散らばっている一番悪い状態である。
我々人類は少しずつ善の感情による体系を築いてきたが、
真理の体系と同化する日は少なくとも数万年は先であろう
なぜなら数千年で得られた真理はごく一部だからである。
その間非線形なるカオスの揺らぎに身を任せ善悪混交の中道に従わざる得ないのだろうか。
自己の善への活動の否定は他者地獄という最も忌むべき状態である。
この時の他者とはカオスである。
日本は仏教思想の影響が強いがこの姿勢は必ず見直すべきである。

782 名前: no name :2010/09/23(木) 21:26:37 ID:WU/oDbB2

我々が求めるべきなのは真善美の三要素である。
一つが求まれば、残り二つも求まるという関係であるが、
客観的真は主観的善に依存し、主観的善は感覚的美に依存し、感覚的美は客観的真に依存するというような関係である。
この関係性は仮のものであり、三位一体という中世の西洋思想もあるように全てを均等に求めることで全てが求まる。
理解の割合は1/3の非連続的均衡に思えるが、ε-δにあるように非連続性の極限は連続性である。
ヒュームの論である「因果律」という思想には連続性を示すものである。

783 名前: no name :2010/09/23(木) 22:36:33 ID:WU/oDbB2

この因果律で示される第一実態は三位に分かれた人間の思想という構造を持つ神である。
客観的真実、主観的善、感覚的美(仮)これらはモナドへの構造を持つ虚像である。
つまり、グランドセオリー(GT)は真善美を元に含むものである。
真の実態は客観でも主観でも感覚でもなく神なのである。

784 名前: no name :2010/09/24(金) 06:06:48 ID:y5evKobu

真と美の外形はある程度理解できるが、善はどのようなものなのか私は分からない。
独自に持つパラメータがあるはずだが直感的に見出せない。
波動は真と美を語りうるが、善とは何であろうか。

785 名前: no name :2010/09/24(金) 06:44:34 ID:dp+0LNsp

経験論を採用するならば真を求める科学が普及した社会の弊害として
人類の美もしくは善への潜在性を損なわれるものなのかもしれない。
国際協調社会を求めるのならば過剰な科学信仰は捨て、3つの象徴から得られるトリニティを信仰するべきである。
真の象徴である科学、美の象徴である文芸絵画音楽、そして善の象徴である社会に神としての構造が宿る偶像とするべきだろう。

786 名前: no name :2010/09/24(金) 07:33:56 ID:y5evKobu

善の象徴を社会とした根拠はない。
判然としないオブジェの波動を感じ取っただけで言語で説明はできない。
これについては現象学的に確信の修正の余地があるかもしれない。

しかし、波動は面積素に示される独自の単位を統合することで
純粋なパラメータとなるため、全くの虚構であるという結論にはならないだろう。
直感的な波動は根拠を超えるものであり、判然としない真偽の中で文明が栄えたのも波動によるものである。
そして全てのエチカにおける面積素である神の波動は人間を絶えず導くRagnarøkである。

787 名前: no name :2010/09/24(金) 08:58:43 ID:y5evKobu

スピノザの理神論は現代の数理神学であり、波動理論はそういった性格を持っているといえる。
数理神学は欺瞞の対象とされることが多いが、波動において四原因論から派生するために数理は必要なものだった。

本論の最終目的は真善美のトリニティを神の象徴とした波動理論における数理神学的エチカ(幾何学)を求めることとする。

788 名前: no name :2010/09/24(金) 09:34:49 ID:y5evKobu

神学において幾何学は神秘の象徴とされることが多い。
「魔方陣」は1/nΣ[i=1→n^2]=n(n^2+1)/2という式で直ちに解が導かれるらしい。
そして、積により変化しない数値の「1」を神の象徴としている西洋思想もある。
大陸を超え思想の共通するところに、もともと幾何学には神の波動が宿っているものと考えられる。

789 名前: no name :2010/09/24(金) 19:16:01 ID:y5evKobu

物質式は∫[0,a]∫[0,b]f(x,y)dxdy=ab(a-b)/2であらわされる板状の幾何を持つ。
神が無限大の存在であり、全ての波動の総体であるとすればこの板のような形状を持つ。

しかし、これを神とすることは善悪混交のカオスこそ最高価値を持つものと認めているようなものである。
このような数理神学の見解もあるが、これは神について思考停止している。我々の目的因たる象徴を神とおくべきである。
つまり、我々の目的因の総体を神の象徴とするべきである。

真である存在性の波動、美である純粋性の波動、善である感情性の波動を求めることが神の証明となるだろう。
そのために真善美の物質式を求め、求めたグラフの形状をフーリエ変換する。
これにより1つの象徴である神の物質式が求まるはずである。
そして逆変換によりいつでも3つの象徴を取り出し細分化することで波動非物質を取り出すことができる。
これにより「存在性」「純粋性」「感情性」を兼ね備えた「神の全能性」を象徴するものとする。

790 名前: no name :2010/09/24(金) 19:37:17 ID:jcx9ZWEw

XPERIAでも視聴できるようにならないかな

791 名前: no name :2010/09/24(金) 20:04:06 ID:y5evKobu

神の数式化の方法を考えたがそもそも波動を数値化する手段がない。
波動理論はあくまで四原因論は変項を用いた言語の理論である。
論理学的アルゴリズムではあるが数式化はしない。
だが、理論を数式化する手段が分かればたちどころに神の存在証明は可能だろう。

792 名前: no name :2010/09/24(金) 20:39:34 ID:/IE3ALWK

なんかすごいことになってる・・・
何が起こったというのだ・・・

793 名前: no name :2010/09/25(土) 01:59:11 ID:yXI/mPYi

客観的現象は全てベクトルで表せるとすれば、波動の数式化に関して
物質ベクトル+作用ベクトル=変化ベクトルといえる。
ベクトルの内部パラメータとして質量や速度や角度などがあるが、作用ベクトルのパラメータも同様である。
ただし、作用ベクトルは主観性ベクトルであり変化ベクトルは主観性の目的ベクトルである。
主観性と客観性ベクトルの違いとして主観性は認識の発散により収束しない値である。
よって主観性ベクトルを得るためには、客観性ベクトルにおける物質式から収束式を得て変換しなくてはならない。
とはいえ、正確に計算すればたちまち認識の発散において
主観性ベクトル全てを飲み込む神の波動「∞」となるためさらなる定義が必要である。
要するに適当なところで「存在の値」を設定してしまえばいい。
例えば、神に頼めば何でも叶えてもらえるなどの妄想ごとを抱えてしまっては現実的手段が何一つ求まらないため
工数を単位変化数=時間(t)とした座標において手段の物質式を限定する方法である。
神に依拠したり、1000年後の科学に期待するなどではなく、基本的にあるものだけで何とかするという考え方である。

794 名前: no name :2010/09/25(土) 21:57:09 ID:J1NvFKuH

目的は任意の値の主観性ベクトルだが、
これは不明瞭なオブジェクトであるため物質式から収束式を得なくてはならない。いわゆる条件の明確化である。
さて、主観性を客観性に変換するためには認識の発散を制限しなくてはならないが、ベクトルの方向成分の作用素をp1、大きさ成分の作用素をp2とし、時間をtとすると、
V=p1p2/tによりベクトルの時間による制限が可能となり、神頼みなどの手段を制限することができる。
全ての現象は存在の値を持ち、1000年後の科学などは少なくともT=1000(年)のベクトルによる変化量を
持たなくてはならないためこれも制限できる。
つまり、作用はn=Tとすると{Vn}={V1,V2,V3・・・VT}から起こる現象の波動しか持ち得ない。
x1という物質の波動はx1+Vn=znである。

795 名前: no name :2010/09/25(土) 22:10:24 ID:GzKPYnil

スレが天才に占拠されとるw

796 名前: no name :2010/09/26(日) 20:46:44 ID:rG4PqCv7

x1+Vn=znが成立するのは一次元ベクトル空間の場合である。
我々の世界は多次元空間であり空間の概念を拡張したたった四本のベクトルに全てのパラメータが内包される四次元空間などではない。
運動法則などを含めて10次元空間というのが現在の主流の説のようだ。
その複雑系のなかで主観性ベクトルをどのように解釈するかということを
新たな次元を加えてでも定義しなくては波動を説明したことにはならないだろう。

心理学では物理学の解釈から新たなベクトルを加えない解釈をしようという姿勢らしいが法則化には至っていない。
哲学における永久命題に近い問いである。

797 名前: no name :2010/09/27(月) 05:00:45 ID:nA7MWUD4

主観現象の客観的定義として変数の任意の値とすることができる。
つまり、x1+y=zでありx1の波動はyにより決定される場合、主観的目的zを任意の値を置換したときyを求めることができる。
主観の数学的定義が難しいが変数は客観であるが、主観的現象を含んでいる。
つまり、主観的現象がどのようなものであろうと全ての実在が客観であり、主観が実在するものならば、
この文を材料に主観が客観であることが三段論法で求まるため不明な客観性ベクトルとして扱うほかはない。
したがって、x1+y=zは客観的現象を示し主観的現象を内包し機能主義的に主観的現象は客観的現象の収束式を一つ持つ。
zが任意の値でznmとしたときx1+ym=z1mとなり収束式となる。

798 名前: no name :2010/09/27(月) 10:05:21 ID:nA7MWUD4

以前、測位衛星「みちびき」の使い道のアイディアが募集されたがこれを命題として波動解析を行う。
まず、x+y=zNMを波動形式としてzNMを「私がみちびきの良い使い方を得る」とすると
質料xは「私」であり、作用yは「みちびきの良い使い方を得る」である。
ここまで不明な情報Aを「みちびきの良い使い方」とすると目的は「私がAを得る」となる。
つまり、Aの物質式における収束式が得られたとき解となる。

「みちびきの良い使い方」はx1「みちびきの機能」とy1「良い」の状態に置き換えられる。
x1はみちびきの物質式であり、y1の状態となったとき収束式とする。
みちびきの波動は、まず同格として「測位衛星」であり衛星についてはあまり知らないが
「打ち上げ」「宇宙」「ソーラーパネル」「アンテナ」「電磁波」「高度」「大気圏」
「基地」「太陽」「軌道」「宇宙線」「測位」「計算」「無重力」
などから質料の機能を考えたとき、やはり「高度」「大気圏」の大きな運動エネルギーxNをもつので
発電yMのエネルギーとすることが「良い」という状態である。
よって収束式は「運動エネルギーにより発電する」であり現象構造化アルゴリズムを終了する。

波動を得る状態とは周囲のノエマを完全にノエシスしている状態である。
衛星に関しての知識がないためこの程度の発想しかなかったが、
知識によりノエマの完全認識状態がなされたとき全ての収束式を得ることができる。
波動は単なる「物質の機能列挙」であり、このアルゴリズムでは時系列を追って「質料列挙→機能列挙」の方法とした。
このような「機能主義的認識」こそ物質(現象)の本質であり、情報を応用する定型手段であり物質や言語の定義の定型手段である。
物質は機能により幅を持つ単位として再定義するべきである。

799 名前: 削除済 :削除済

削除済

800 名前: no name :2010/09/28(火) 00:09:36 ID:MJb8qucM

全ての思考は質料列挙(認識)と機能列挙(認識作用)である。
アンチノミーとは知識量kによる認識未分化であるとし
系に保存される質料の量x、(作用側の)質料の量xによる積を機能量(収束式の個数)とすると
認識量を示す関数は、
f(x,k)=x^2-xk
でありさらに厳密には、これは時間作用における認識分化となるため、
F1=δf(x,k)/δx=2x-k
F2=δf(x,k)/δk=-x
これにより通時的認識量は、
Δz=(2x-k)Δx+(-x)Δy
となる。

重要なのは機能主義的に発想や認識などは天から与えられるものではなく客観的現象ということである。
少なくとも「教育」における「教えれば覚える」という精神はこの認識に基づく機能主義的見解といえる。

以下は機能主義を前提とした命題と結論である。
Q1.この場合の自由意思とは何か
A1.神との遭遇確率とアンチノミーの払拭による完全認識
Q2.アンチノミーは存在しないか
A2.将来的には存在しない
Q3.人間の価値とは何か
A3.神と完全認識の確率を除けば、過去現在将来を含む機能の総和

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