ニコニコ動画初心者にありがちなこと


告知欄


■ニコニコ動画初心者にありがちなこと

現在表示しているスレッドのdatの大きさは419KBです。
レス数が1000を超えています。残念ながら全部は表示しません。

1 名前: no name :2007/11/17(土) 00:41:53 ID:zKahl6tg

「自重」を「じじゅう」と読む

660 名前: no name :2010/08/10(火) 21:24:16 ID:rQa4nQS8

縺ゅ£

661 名前: no name :2010/08/11(水) 01:57:43 ID:H8Wn3EA8

656 名前: no name :2010/08/10(火) 05:36:33 ID:tzFzanFz

性質の振動とは初等数学的計量法に倣った四原因論法の基本法則から得られる可能態質料であり、
質料+作用=形相(A+B=C,C∋D)の形相に目的(可能態質料)が含まれ
質料を弦として作用によって弾いた弦の振動状態を形相に例えた表現である。
コップの水を飲むためにはコップという物体の振動状態として水の入ったコップという形相があり目的を完遂する。
つまり目的は水の入ったコップという形相に含まれているのである。
目的は水を飲むことであるためコップの振動状態である水が入ったコップを飲むためには
水の入ったコップを新たに質料として認識(固定観念化)し、水の入ったコップ(質料)の振動状態が
人間の動作(作用)によって引き起こされるものであり、水の入ったコップを飲むという行為として形相となる。
質料と作用と形相の内に、目的が継承され実現される様子が分かるだろうか。
これが可能態質料から現実態の形相となりデュナミスからエンテレケイアへの収束である。

初等数学の言語への応用によりあらゆる精神世界は収束する。
これを基礎として精神世界を物質世界や数学のようなモデリングを期待するものである。

662 名前: こんちわ :2010/08/11(水) 18:21:49 ID:z+JPzSQf

夏だ!プールだ!ニコニコ動画だ!

663 名前: 削除済 :削除済

削除済

664 名前: no name :2010/08/12(木) 00:34:58 ID:OP34VVrV

性質の振動とは初等数学的計量法に倣った四原因論法の基本法則から得られる可能態質料であり、
質料+作用=形相(A+B=C,C∋D)の形相に目的(可能態質料)が含まれ
質料を弦として作用によって弾いた弦の振動状態を形相に例えた表現である。
コップの水を飲むためにはコップという物体の振動状態として水の入ったコップという形相があり目的を完遂する。
つまり目的は水の入ったコップという形相に含まれているのである。
目的は水を飲むことであるためコップの振動状態である水が入ったコップを飲むためには
水の入ったコップを新たに質料として認識(固定観念化)し、水の入ったコップ(質料)の振動状態が
人間の動作(作用)によって引き起こされるものであり、水の入ったコップを飲むという行為として形相となる。
質料と作用と形相の内に、目的が継承され実現される様子が分かるだろうか。
これが可能態質料から現実態の形相となりデュナミスからエンテレケイアへの収束である。

初等数学の言語への応用によりあらゆる精神世界は収束する。
これを基礎として精神世界を物質世界や数学のようなモデリングを期待するものである。

665 名前: no name :2010/08/12(木) 05:30:08 ID:OP34VVrV

我々は感覚により現象を説明するが、それを表現するための言語を持つ。
我々は現象を予め知るものではないため、現象の最初の認識はカオスである。
我々が現象を認識する目的とは現象の性質を作用によって自由に引き出すことであり、
対象の現象がどのような作用において、どのような結果を持つかということを知ることで現象を応用可能な状態にするためのものである。
つまり、外界の法則性を知るために感覚によるカオスを条件付けし法則をもたせなくてはならない。
言語は感覚を一定の法則化により生じ、つまりある基準に属する感覚を同じものと見做す(並列化)ことで単語として表現する。
言語はさらに法則化することで論理となり、言語の先言を概念とすることでさらに高度な操作が可能となる。
それは言語の並列化であり、無駄な言語を矛盾なく統合しそれによって先言であるあらゆる概念の善悪が最適化される。

666 名前: 削除済 :削除済

削除済

667 名前: no name :2010/08/12(木) 19:55:09 ID:OP34VVrV

論理の目的は先言の下位概念を求めることであり
線形モデルにより複雑系の説明を得て、管理体制を築くことである。
認識としては感情や感覚による上位概念を求め、境界無き美学を求めることで現象の絶対数を得る。

668 名前: no name :2010/08/13(金) 08:35:54 ID:x8EYwIbf

数学という表現の形相とは計量が基礎であり、これを変数や座標などで一般化したものが高度な数学となっているようだ。
計量とは離散的な数字を演算するものであるが、これに必要な概念は量である。
認識対象群を同一性質のもの(モデル:単位)を定義し、モデルが離散的な数量の積で表されるものを量と呼び、
これはモデルと数量という概念に分解される。
しかし、離散的な数量もすなわち量であり、これ自体にもモデルと数量が存在する。
数量のモデルとは根源的な存在であり、これも数量との積となりいわゆる純粋な尺度の無次元量である。
数字とは特定のモデルを持たない純粋な尺度であり法則という言葉が適切かもしれない。
演算という概念は数字と数字の関係性であり、ある種の単位を定義することで量として写像を取る。これにより計量となる。
数字は統一的な存在がモデルとなり、物質は質量がモデルとなり、言語は感覚をモデルとし、
そして宗教は神仏がモデルとなって統一的な無次元量を決定する。
新たなモデルを決定することで新たな表現となるが、哲学はモデルとするものが無く定義した概念全てがモデルとなる。
数字ははっきりと現れる存在をモデルとしているため、物質関係を記述することができる。
精神は個人の善悪がモデルとなっているため、個人の性質と環境との関係を記述することができる非常にマクロな演算となる。
これは計量関係や真実・虚構の条件を取り払って
連続的な変化のみを根拠とする通時性による関係性を記す不確実ながら非常な高度な演算をすることに適する。
このように経験に対して善悪(快・不快)とカテゴリ化していくことで経験則となるが、
個人の経験則により過ぎると個人の能力との関係性における善悪となるため真実から遠のくものとなる。

669 名前: no name :2010/08/14(土) 07:30:53 ID:jnhf/7wg

哲学は定義するもの全てがモデルであり、それは精神としても例外ではない。
客観的な現象は全て物理法則により表されるが、精神という主観的な現象を表す尺度は存在しない。
主観的現象を「思考と善悪の還元としての行動」とするならば、(1)
思考の還元としての(モノを使うという)行動から性質を得る人間の思考を「物質性質の集合体」と解釈でき、(2)
人間の善悪を「自己の生存可能性」と定義するならば、(3)
解釈により主観的現象を客観的現象に置き換えることができる。
客観的現象を「物理的値」とするならば、行動そのものは物理的値により求められるため、
主観的現象を行動というモデルと無次元量の積として分解することが目的となる。
行動は善悪と思考からなり、物質性質による行動の精度と生存可能性による行動の決定と考えられ、
前者はどのように行動するか(還元性の議論)、後者はなぜ行動するか(生存への影響の議論)である。
前者は物質性質をモデルとしているため物理的値を返すが、後者においては検討の余地がある。
生存可能性とは対外的物質性質による肉体機能の停止の可能性を意味する。
これは物質間の関係性であり物理的値を返すため、主観的現象の客観的現象による包括が可能となる。
(1)(2)(3)の定義は四原因論法により論証できる、(1)は主観的現象は目的に行動を持つため、
主観的現象は行動の形相であり、主観的現象は形相に思考と善悪をもつため、思考と善悪は行動への還元性を持つといえる。
(2)の思考は目的に行動の具体化をもち、(3)は善悪の究極の目的は自己の生死であるとなる。

670 名前: no name :2010/08/15(日) 10:48:11 ID:3u0QkyJY

哲学の大きな値の形相として神の議論、ロゴスの議論、パトスの議論が存在する。
フランクフルト学派のユルゲン・ハバーマスは対話における理性により議論の価値を持ちうることを言い
決して、議論や人間などを定義し、確実な確実な地盤固めをしなかった。
確かに対話的理性は人間の理性という非常に揺らぎやすいものを議論の足場にするという危険なものであるが、
逆に揺らぎやすいからこそ、発想的な態度に繋がり、人間関係に繋がり、厳密性を求める態度より遥かに融通が利きやすい。
何事にも易不易があり、ただ頑固であることだけが正義ではないということだ。
必ずしもロゴスの議論が優位ではなく、必ずしもパトスの議論が優位ではなく、必ずしも神の議論が優位ではなく
数学にすら矛盾という易があるように、左右に分かれた道の中の道をゆくことを忘れてはならない。
この世にて絶対は時のみであり、存在は必ず生成流転の法則をもつものである。
時に従うことのみが万象を捕らえうる善である。

671 名前: no name :2010/08/15(日) 13:39:08 ID:3u0QkyJY

ただ知識を求めるだけならば何者にも可能であり発想の機会であるが、
それ故こればかり追求する人間を「学者」と称えることは異議を唱えたい。
確かに知識を得ることは四原因説の解釈から発想の機会を得ることであるが、
知識はそれを収束することにおいて価値が生み出されるものであるため、発想のみでは単なる妄言となってしまう。
また、知識を求めることはその気になれば誰でもできるためいわゆる「学者」である必要性は皆無である。
四原因説の解釈からそれは思考の本質から外れるため「思考できない学者」
「思考」と「学者」の対立事項を内在化させた矛盾した存在となる。
日本における哲学教育は哲学史を学ばせることや議論の仕方のみに重点を置き、
肝心な論理を軽視し知識を収束させることを学ばないため本質的な哲学からかけ離れているといってよい。
その結果、妄言が飛び交うお粗末な場になりがちであるため、日本の哲学には良い感情を持っていない。
難解な言い回しで混乱させるだけさせて読者を振り回した挙句、よく考えてみれば新たな発想が全く見られず
哲学=難解のイメージが難解表現や比喩に主観的根拠を潜ませ収束しようが無い議論となり
学問的に不誠実な場を許容してしまっている現状がある。
他学問でも哲学的言い回しで格好の良い表現には学問の名を借りて人の興味を引くだけの単なる文芸となっていないか留意する必要がある。
論理実証主義(非実証主義)の学問においてこれが許容されてしまえば、
日本の学問は名だけで文芸に劣る表現力と歴史資料にしか意味を見出せないものとなるだろう。

672 名前: no name :2010/08/15(日) 21:50:11 ID:3u0QkyJY

知識や専攻分野を誇ることは無意味であり、美意識に訴える表現や知識を披露するだけの学問において腐敗の温床になっている。
非実証主義において飾り立てる表現は不要であり、美学としての文芸と論理としての学問は同列に語るべきではない。
美学の目的は内容の発散であり、論理の目的は内容の収束であるため同時に存在できない。
学問としての美学は単なる娯楽ではない、感覚や感情を内容とした収束である。
よって学問に文芸表現は不要であり、専攻外の人間にも門戸を広げ意見を幅広く集約する態度を持つべきである。

673 名前: no name :2010/08/16(月) 07:18:16 ID:ErQHzL2h

もしくは学問としての美学とは哲学のことか

674 名前: mio :2010/08/16(月) 11:17:53 ID:WB7j9jpS

はじめまして。 質問おねがいします。 携帯からプレミア登録したのですが、パソに反映されません。 なんでですか?

675 名前: 削除済 :削除済

削除済

676 名前: 死ね :2010/08/17(火) 01:53:46 ID:gb2B/Ja7

死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね
死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね
死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね
死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね
死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね
死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね
死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね

677 名前: 死ね :2010/08/17(火) 01:55:11 ID:QnBYbk8K

死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね
死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね
死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね
死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね
死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね
死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね
死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね

678 名前: no name :2010/08/17(火) 08:12:43 ID:NQHH3Xlg

我々は現象の演算を通時性により行うことが出来る。
存在と時間はこの世界の絶対であり、それを究極の質料と作用とすることができる。
身の回りに起こる現象は本来ならば存在を数学的定義によりモデリングし、無次元量によって予測できるが
我々にはそういった知識が無くとも、究極の質料である存在を原因と呼ぶものに写し換え、
究極の作用である時間という演算子により、形相としての現象の原因を措定することが出来る。
古代ギリシャ哲学では質料を概念として先言が存在するかわからないものを質料として
時間と現象によりイデアまでを範囲に含めた原因を措定していた。
先言措定として本当の存在があるかは分からないが、その「感覚」は確かに存在する。
我々の感覚は数学的規則で表せないものの、非常に文化の繁栄に貢献しそれを措定する意義は十分にある。
現代社会は科学の優位性から物質的現象のみを求めるようになったが、イデアというものを措定する意義は失われてはいない。
むしろそれを蔑ろにし、科学の万能性が築いたその頑固さから非合理的な態度を作ってしまっているといえる。
主観的現象と客観的現象全てを原因の範囲として捕らえるべきである。
その風潮が宗教の嫌な部分を反映することもあるが、
科学と宗教的姿勢の中庸により確かに人は合理的な態度を得ることが出来るのである。

679 名前: no name :2010/08/17(火) 08:35:17 ID:NQHH3Xlg

「感覚」などの主観的現象の根拠とするものは神の意思であり、
「物質」などの客観的現象の根拠とするものは自然の論理である。

680 名前: 削除済 :削除済

削除済

681 名前: no name :2010/08/18(水) 06:46:59 ID:lB8Z6oFE

人間的情緒(善悪)は一見、不確かなことばかり論じ
感情的な決め付けが多いことから誤った解釈ばかり生み出しているとされることが多いが、
我々の思考はそもそも感情や感覚に基づくものであり、これを一切否定することは無意味である。
我々の思考の形態として感情や感覚によりカオスから概念を収束し、
言語や数式となり方法としてアウトプットをする。
つまり感情や感覚を否定すれば、必然的に論理も細り発想的態度が失われる。
まず我々は善に向かう感情である目的を持ち、その障害となるものを悪とすると
発生した悪の感情を打ち消す目的を持つ、その目的という理想概念を得るべく悪である現象という形相を
収束すると善となるため、質料と作用を措定する意味を持つ。
作用は演算子だが発散状態の形相成分に分解できるため(波動の議論をあえて捨て)ある種の質料と同じとみなしてよい。
波動の議論を捨てるため厳密には非可解であるが、
a<100の近似解が求まればa≦rのy軸における円周上の上位表現により還元性の値0.5以上の先言措定C=2Eとなり方法化する。
現象の原因を得るためには、それぞれの質料の振動状態から現象となるものを選択すればよい。
そして、質料の措定をするためには各質料の波動を得ることである。
その波動とは質料の感覚や感情的解釈であり、境界無きカオスの収束状態としての現象や質料である。
これが発想的態度であり、人間的情緒に由来する。
虚構による質料の無限大への発散状態は結局、人間の理性(固定観念)の範囲内に収まり、発想を収束する態度となる。
後に言語や数式化し方法へと還元する。これが思考の理想状態である。
これにより主観的現象の思考が求まり、思考が人間的情緒に由来するため善悪の理想状態にもつながると思われる。
とはいえ真の思考の理想状態は虚構による無限大への発散と真実による0への収束であるため、この論は相対化される必要がある。

682 名前: 由那 :2010/08/19(木) 15:58:56 ID:6C1ZOONs

ニコ動初心者の由那と申します。
プレミアム会員に登録しなおしたのですが、
リストには出ているのにクリックして開いても、
『お探しの動画は再生できません。(視聴権限がないため、視聴できません。)』
と出て見られない動画がいくつもあります。
検索の仕方も分からなかったのでどこを見たらいいか分かりません。
ご存知の方教えてくださいませんか?よろしくお願いします。

683 名前: 由那 :2010/08/20(金) 20:48:49 ID:68C8Wb7i

スレッドのタイトルを見て質問を書き込ませていただいたのですが、
私は場所を間違えていたようなので移動します。
682の質問はスルーしていただいて結構です。
すみませんでした。お邪魔しました!

684 名前: no name :2010/08/27(金) 18:48:08 ID:/pWLCb+q

美学は方向と強さの次元からなる作用群を量子化した質料の発散といえる。
その重積分により形相が発生し、さらに下位質料の発散により新たな次元となり、
二次直交系の位置情報が全ての座標系において線形変換されるため、非常に高速な無限大への発散といえる。
これにより四原因論の発散定義となる。

685 名前: no name :2010/08/28(土) 12:17:15 ID:tgaqdP4m

分析とは形相の質料を求める行為である。
形相は二次直交系の交点である「意味」を質料とし、作用という質料との関係性において付加された意味の二変数関数を目的としたとき、
その重積分において形相となるため、作用は面積素としての極限における質料となり、
全ての現象は極限における質料においてのみ記述できるという形式をとったとき
目的は質料として形相に内包されるため、分析の主観的な意味は目的の質料を得ることそのものである。
この過程において思考の質料の波動において発想や善悪も内包されるため、
この形相外の思考は存在しないため思考の定義となり主観と客観の全ての現象は四原因論に内包されることが証明される。
これにより人間を質料としてよいことがわかる。

686 名前: すずむられい :2010/08/28(土) 14:26:36 ID:jyzR7+ON

生放送でコメントを流せるんですがコメビューと主には自分のコメントが見えないみたいなんですがアカウント凍結したということですか?

687 名前: no name :2010/08/28(土) 15:59:12 ID:tgaqdP4m

形相は主観的現象における質料である目的を含んでいる。
主観的現象は質料を目的に変化させる目的を持つため、質料の波動から目的としての質料の状態を得ればよい。
質料の波動とは認識内の作用を得ることであり、その関数の積分において波動となり、
その一点が目的であり質料の波動とは形相のことである。
作用は基本的に人間的作用であるが、人間性を持つモノとしてもよい。

688 名前: no name :2010/08/28(土) 22:09:12 ID:tgaqdP4m

四原因的に質料は「自己」という定数であるため作用と目的を求めればよい。
質料という主語が目的という作用により変化した質料となったとき目的を得ることができる。
つまり、作用と目的の波動を得ることにより方程式の解を得ることができる。
作用や目的を形相という認識に置き換えたとき、質料と作用の関係式という波動形式で表せる。
作用の波動形式と目的の波動形式には可能態質料が含まれているが、
特定の解を持ったとき主観的現象の真実となってしまうため解は存在しない。
また波動形式はその項の変数を質料の定数と作用の変数の関係式で表し、認識上の作用群により形相を決定する。
作用とは人間的作用に因らなければならないため、人間的作用でない場合、更に下位の波動形式を持つ。
波動形式による認識の発散形について今回は新たに変数を導入することで単純化してしまったが
目的と作用における形相は本来独立に変化するものではなく関係性を誤魔化し、
また波動の定義も曖昧であるため言語(美学)による定義から検討の余地があるといえる。

689 名前: no name :2010/08/29(日) 09:37:24 ID:VUHGr+bS

我々の認識は統一的な値と程度によるものではなく、主観的認識により行われる。
例えば、コップという形相におけるハイデガーの機能主義の解釈で、コップは水を飲むためのものと解釈することもあれば
水を注すためのものという解釈も存在し、認識においては主観現象の無限大への認識の発散が認められる。
インド哲学におけるヴァイシェーシカ学派では主観的現象の一つ一つが相互説明不可能なものとして
直感の絶対性を確立しているが、非線形の客観的現象が多いこの世界においてこの絶対性こそが世界という形相の認識の正しさとなる。
つまり、認識の単位としての質料は下位構造と程度という単位に分解することで形相への主観的理解を失うものといえる。
大きな値の形相を求めるためには必ず大きな値の質料でしか図ることはできず、そこにある種の系を持ち分解することとなる。
我々自身は主観でしかないため主観的現象の発散形において形相を説明し客観的現象として収束していくこととなる。
順序を違えると、相対論的に非線形現象を説明するような煩雑さに追われることになるだろう。
形相は必ず認識というエーテルで満たすべきであり、これが面積素としての質料により形相の成分となることを示し、
主観統一理論としての全ての点が独立するカオスを収束するために対象の形相という枠を設けることとなる。
これは客観現象の説明する態度としての構造主義と
主観的現象を説明する態度としての実存主義の四原因説による現象学的統一理論といえる。
これにより主観的現象の波動形式となるため、次項からこの理論に従い言語による形式の統一という方法の収束を図る。

690 名前: no name :2010/08/29(日) 13:03:06 ID:VUHGr+bS

対象があることが前提である。
その影を発散するゲシュタルト質で埋めていくことが主観的作用であり、
そのモデルはちょうど量子力学における対象のドブロイ波のような体である。
四原因説では対象そのものではなく、エンテレケイアという画期的なイデアがあった。
これを認識の境界条件としたポテンシャルの壁を築くことで主観的現象のカオスの収束条件と合致する。
無限大のポテンシャルからなるエントロピーを一定とした黒体に阻まれ質料というランダムクォークは対象の系として保存される。
言語学の祖であるウィトゲンシュタイン哲学の言語空間は波動形式を記述し、保存される系である。
ここにおける表現はソシュール哲学におけるシニフィアンが光として構造主義的記述を為し、
シニフィエが影として実存主義的記述を持ち、重ね合わせの原理により空白部分に存在確率を持つ。
我々の主観的認識の対象は意味でしかないため、平生の視覚的認識においても言語の波動を持ち
シニフィアンとシニフィエは観測問題が区別するメビウスの輪である。
我々の本質は言語・数的空間であり、真の認識は存在せずそれより真の客観的現象を知る術はない。
これにより全ての現象の波動は文字という表現上に存在することがわかる。
哲学ゾンビという揶揄があるが一切衆生は皆盲目である。

691 名前: no name :2010/08/30(月) 13:27:04 ID:6MJPJ9gZ

波動形式は単純な式で表される。
Z=XYは質料と作用の積であらわした形相であり、存在と無次元量で表した存在の値である。
Zに生じるのは表現上の名称であり、唯名論における根源的な存在である。
Xは質料、Yは作用質料であり、これが前述の存在と無次元量で表現される。
名が生じるのは名の内に存在があるためであり、スコットゥスのいう「こものの性」には否定的であり、
古代ギリシャの普遍論争における回答に位置する。
ギリシャ哲学を否定するつもりはなくそれが普遍であるとする根拠も乏しいが
波動という現象の説明において有効な手段であるため必ずこの式や解釈を正しいことを前提におく。
こものの性を認めたとしても生じる形相をそれぞれ別のものとすると
単位を認め水の量を計測することも不可能であり、ある条件下で不都合な点が多い。
主観的現象における認識の発散の説明(計測)するために「波動」という名前(単位)を認める。
波動という形相は質料と作用に分かれ、我々が対象について認識の発散現象が起こるのは
作用という変数にあらゆる質料を無意識に代入しているためであり、
名前に掛かる成分量を変えれば名前を変えることすらあり、これが波動現象による「変化」である。
つまり、認識した対象について作用することを想定して対象の形相内に目的とする質料状態をもつことを知ることができる。
この波動現象を四原因論的に数式で解くと目的をx3y2とすると、XY=x3y2、これらの成分を波動によりXに存在するものと感じ取ったとすると
X=x1y1,x1=x2y2,x2=x3y3から展開するとX=(x3y2)y3y1の質料とY=1/(y3y1)の作用をすれば目的の質料を得られる。
つまり、質料の波動状態を知ることが重要であり、我々は視覚的刺激により全てを知ったような客観状態を錯覚してしまうが。
認識しなければ視覚として映し出されようとそこに名はなく、無に近い朧な存在である。
つまり、単位を知らなければ認識は存在しないため、客観的統一的単位とは別に、主観的離散的単位が必要である。
単位を認めることで容易に認識が可能となり唯名論の実用的価値があり、歴とした論拠である。
何となく感じ取る気配というものや感覚を否定する論理が得られるのも波動形式によるものであり、
一部では唯名論否定をしているがこの価値を高めるために唯名論を必要とすることでもあり、語りえぬものである。

692 名前: no name :2010/08/30(月) 21:20:17 ID:jo34OyZe

↑これが新参かよ・・・
 クオリティ高すぎだろ・・・

 ちょっと、泣いてくる。

693 名前: no name :2010/08/30(月) 22:35:04 ID:PEEKmzmt

精神年齢が低い餓鬼みたいな奴が多すぎる。
たかがコメント消されただけで大騒ぎする馬鹿とか
どんだけゆとりなんだか。
マジ同情する。

694 名前: no name :2010/08/30(月) 23:27:21 ID:PEEKmzmt

タグで遊ぶ知的障害者とかな。
「自分は頭おかしいですよ」と自己アピールもいいとこだ
ネットで顔見えないからっといって粋がるゴミみたいなのが多すぎる。
所詮は頭がおかしい低脳ばっかりだ。

695 名前: no name :2010/08/31(火) 16:58:56 ID:ApVVVh8u

一段落ついたのでこれまでの議論をまとめる。
「波動」という現象を認めたのは四原因論の数式化に必要だったためである。
波動形式は四原因論に適応でき、根拠として存在(単位)と量の関係性がありその歴史的経緯を説明したまでである。
普通は現象を数式化するためには物理的値による定義が必要であるが、
変数という概念の導入によって数値化しない現象の数理モデル化に成功した。
四原因論においてどうしても説明が難しかったのが、ハイデガーの機能主義の解釈における認識の発散であったが
これを質料Xと作用Yの関係による発散現象とするならばXが決定してもYが未決定である限り
xy軸の交点と定義した「意味」が発散するという解釈において、これも説明可能となり波動形式の一つの性質として統一される。
さて、目標である波動形式における四原因論の解釈であるが、質料と作用の積が形相であるという説に合致し、
前述から単位と量の関係性、認識の発散という意味も含み、これらの統一的な解釈として
「人間の認識の単位が質料であり、量が作用にあたり、一方が未決定な限り認識の発散が起こる、
これを波動形式とし、認識の発散現象を波動と呼ぶ。認識の波動解釈から目的因を求めることができる」
と考えられる。この論の大きな意味として、主観的現象を客観的に示せるようになったということである。
これから哲学的議論の定式化や主観的議論の統一を波動形式により収束することを目的とする。
先述の結論として波動形式により、唯名論では「名前は存在と量の関係から決定する」とし
例えば、「水」という単位の量を増やせば「川」となり、さらに増やせば「海」となるという構造主義的な見方が提示される。
しかしこれはルネ・デカルトの提示した主客問題を解決してないためまだ解釈の余地がある。
結局、客観的現象と主観的現象は相互説明不可能な部分があり統一できないため、
実存主義的見方の場合、全ての名前が絶対とし相対性を持たないならば確かに主観的認識の全ての再現性をもつものとなる。
この仲介案として客観的現象を再現をするために主観のみに存在する単位を認め、
再現が難しい認識は主観的単位の「名前」を認めることで客観的再現性を持つ。
簡易な例を示すと、金銭の管理をするときに「万」や「億」という単位がなくては計算が難しいといえるだろう。
このように主客問題を根拠とした主観と客観の再現性を持つため波動形式では変数Xを持つといえる。

696 名前: 削除済 :削除済

削除済

697 名前: no name :2010/08/31(火) 19:49:11 ID:ApVVVh8u

波動形式Z=XYの唯名論的解釈として名前Xと量Yの関係性は構造主義、実存主義の両者の論を内包する合理的認識の方法論である。
四原因論的解釈として質料Xと作用Yの関係性では機能主義の認識の発散現象を「波動」とすることで目的を求めることができる。
「目的をx3y2とすると、XY=x3y2、これらの成分を波動によりXに存在するものと感じ取ったとすると
X=x1y1,x1=x2y2,x2=x3y3 から展開するとX=(x3y2)y3y1の質料とY=1/(y3y1)の作用をすれば目的の質料を得られる。」
の通り内部構造を明確化していけば目的に対する質料(材料)と作用(組み立て方)が分かるというものであり、
必要条件として質料もしくは作用質料の波動を感じ取ることである。
波動を得るためには質料の内部構造を予め知っておく必要があり、その認識を得るために主観的単位が必要となるということである。
例えば、目的が水を得ることであれば川の波動から水の構造があることを知ることができ、
川から水を得るという作用をすればよいことが分かる。
この場合、川という主観的単位がなければその目的を得ることが難しいことが分かる。
主観的単位とその性質(内部構造)を予め知っておくことで構造の組み合わせにより目的を得ることが出来る。
これを主観的単位に解釈して時間と関係ない次元における質料の分解・構築作業を波動とし
波動が形成する可能態質料の重ね合わせの場を形相Zとした。

698 名前: no name :2010/08/31(火) 21:12:31 ID:aW4OCy6+

ゴミばっか

699 名前: no name :2010/08/31(火) 22:27:13 ID:ApVVVh8u

心理的に主観的単位Xは離散的値の線形性をもつ単項式である基準で現象を測るものでなければならない。
量Yが連続的な値であれば主観的に違いが分からず、
非線形であれば複雑な計算過程を持たなくては違いの正確な判断が出来ないためである。
前者は職人的な勘などセンスが要求される作業であれば、新たな基準としての単位を設け
例えば水の成分を調べたいのであれば、水の下位構造に新たな名称をつけこれにより構造的に離散化した量を持つ。
後者は量Yが曲線のような関数であった場合、微分などの作業を感覚的に行うことになるためであり、
これを解消するためには線形性を持つ基準として新たな単位を認識する。
例えば、技術的な話でなければ詳細な値を出す必要はないため曲線の関数をパターン別に分け
緩やかな増加部分と急増化部分などに分け直線とみなし
それに対し原点を通り直行軸に新たな名前の基準を設け現象関数として名称付けすることで
単項式の線形性を持つ関数となり、これが波動を得やすい性質としてのいわゆるセンスのある考え方である。
構造を複雑化するほどに波動を得る機会は失われると思われる。このように数的構造を名称構造に置き換えるていくことが重要である。

700 名前: no name :2010/09/01(水) 01:47:53 ID:+8pXdtUY

解析的に見れば人間は大した思考を持たない単純構造の思想を持つ動物であることが分かる。
超越論的な思考などなく単に質料に作用するという組み合わせを思考(試行)しているだけのコンピュータである。
コンピュータの機能としては客観的解釈により現象の構造化し、主観的解釈により起こった現象に名前をつけ記憶する。
基本的に処理速度と記憶容量で全ての現象が説明され自律した思考を持つ。
客観的思考に傾倒していればある程度の矛盾を容認する態度が必要であり、主観的思考に傾倒していれば規則化に勤めるべきである。
主観的現象は虚構を多く持ち利用価値がないように思えるが、その実合理的システムである。
次項から人間というコンピュータの性質について言及する。

701 名前: 削除済 :削除済

削除済

702 名前: no name :2010/09/01(水) 10:50:16 ID:QCt+MQDV

コピペ厨・・・・

703 名前: no name :2010/09/01(水) 12:12:27 ID:+8pXdtUY

まず、波動形式で人間の行動を全て説明できるとすると、人間を関数の集合体と解釈する。
人間の思考形態は大きく分けて主観的思考と客観的思考があり、
主観的思考は自己にとっての真実であり、客観的思考は自己を除く全てにとっての真実である。
全ての現象は主観的思考により定義し、客観的思考により真偽を確かめる。
主観的思考による定義とは虚構を含んだ自己の学習機能であり、あらゆる客観的現象を識別する差異化システムである。
いわゆる現象のカオス状態を自己の感覚的刺激のパターンに置き換える機能であり、人間には五感や六根などの関数がある。
それに倣ってまず質料の波動定義をする。
視覚的刺激として光のセンサを用いたスペクトル分解を行い
三次元直交座標上にスペクトルと形状の再現と閾値とグラフの抽象化を設定することによる固体の識別・定義を行う。
触覚的刺激として圧力に対するセンサを用いた凹凸の認識により定義固体の詳細の形状を再現する。
聴覚的刺激として空気の振動に対するセンサを用いた内部構造や材質の定義を音の性質により判断する。
他にも高周波数の電磁波を発する作用により内部構造の定義が出来る。
質料と作用の関係性により質料の形状と構造の波動を得ることになる。
これらのデータの集合として形相は求まるが、自律思考を得るためには目的が必要である。
つまり質料に対する作用がなければ、人間が予めデータを入力しなくてはならないため自律思考による学習機能が必要である。
これは連続的作用の定義であり、作用を与える理由を持たせ自動的連続的に波動の定義を行わせる必要がある。
それが生存する間継続して行われるべきであれば生存の目的を与え、破壊による危険性の排除が目的の定義となる。
破壊の波動を物質の運動量と定義すると閾値を越えた質量と速度の構造を持つ質料を危険性の定義とし
物理演算などのシミュレーションを行うことで排除目的の定義となる。
その排除行動が連続的作用の定義と学習機能であり、コンピュータに破壊的波動(機能)を持たせない限り、
多くの場合回避行動の理由を持つ構造分析の連続的作用の目的を持つと思われる。
これにより目的行動・構造抽出・自動定義による学習行動の連続性ルーチンをもつと思われる。

704 名前: no name :2010/09/01(水) 20:39:32 ID:+8pXdtUY

永久命題を設定することによる無限作用ルーチンである。
質料の定義により波動の感知が可能となり、目的を自己生成・解決する。

>>703
訂正:スペクトル分解→スペクトル分析

705 名前: no name :2010/09/02(木) 19:45:18 ID:VDrNlCUo

分析の目的とは生活的感情に取り込むことでありいわゆる理解である。
分析の対象として現象があり、現象の定義がなければ単なるカオスである。
現象の完全な定義をすることはできない。なぜなら、定義は主観的であり、現象は客観的なためである。
現象は言語で表現され、言語は論理で説明され、論理は管理する態度を持ち、
現象が管理的態度となった時、人間の波動と同化し虚構を除き真実のみを方法に還元する。
例えば、社会的現象の分析をする態度として、社会的現象の波動を感じ取り
表現を論理に収束し質料と作用の関係性を定義し数的・名称構造において管理的態度となる。
これは順序的な定義無き波動の収束であり、発散する波動の定義も可能となる。
主観的現象にとっても客観的現象にとっても自己の生活感情が普遍の真理である。

706 名前: no name :2010/09/02(木) 20:50:05 ID:VDrNlCUo

現象の分析は表現の波動を収束することが目的となる。
「社会の収束と再現」を目的とした分析を行い、予測不可能な場合不可能性の証明を行う。
「波動の数的・名称構造を築くため共通因子による順次分解による構造化による樹形モデルとし
形相の包み込み→面積素の総和→生活感情による真偽基準→順次証明を基本パターンとし思考ルーチンのアルゴリズムとする。」
これを現象構造化アルゴリズムとし、今後の議論モデルとなる。(モデル化の意義とは認識の簡易性である。)

707 名前: no name :2010/09/02(木) 20:58:20 ID:VDrNlCUo

生活感情を真偽の基準とした根拠は先言措定である。

708 名前: no name :2010/09/02(木) 21:18:12 ID:VDrNlCUo

生活空間は論理の認識限界であり、これを「アンチノミーの境界」と定め先言措定の限界とする。
アンチノミーによる境界は知識増加、もしくは認識増加により変動する。
固定観念に囚われないため「時間に閉じ込められる波動」という定義において境界解析する。

709 名前: no name :2010/09/02(木) 21:54:43 ID:S9Hs9Kkl

楽しい?

710 名前: no name :2010/09/02(木) 22:02:10 ID:lssQ5m5f

>>709
お前みたいな餓鬼よりまともな件

711 名前: シラカミ :2010/09/03(金) 00:08:04 ID:dwUjJaz2

ニコスクリプト簡易編集でジャンプ先の動画指定した。
投コメ全部消えて、ジャンプ設定だけが残った。
泣いた<今ココ。

712 名前: 削除済 :削除済

削除済

713 名前: no name :2010/09/04(土) 02:22:44 ID:WIWimBpg

定義とは主観である。主観は全てを定義する。
ユークリッド幾何学は美学的視点により公理系を築いた。
それは学問の中心部であり、真の純粋性は美学が支配する空間である。
我々が生きる目的とは真実を求めることであり、美学は真実の評価であり、
論理は美学の純粋性を失わせないため、解釈の混入を妨げる。
しかし、人間には虚構も必要である。
現在の真実を否定できるからこそ越するのである。

714 名前: no name :2010/09/04(土) 02:46:09 ID:WIWimBpg

アンチノミーの境界は純粋性の美学によってのみ変動する。
全ての感情や感覚は主観的現象であり、必ず因果律を持つものである。
時間に閉じ込められた「間」は主観的現象における真実であり、客観的現象における虚構である。
美学的空間を基底とした波動は人の業が許される限り目的となりうるのである。

715 名前: no name :2010/09/04(土) 02:54:34 ID:AUlb+qZ+

主観的定義は全ての波動の基底である。
純粋美学にはアンチノミーの境界が存在しない。
潜在的構造である人間にとっての「波動ポテンシャル」である。

716 名前: no name :2010/09/04(土) 14:42:45 ID:W8V+9tVF

波動構造における潜在構造とは「美」という天上的な価値観を持ったものである。
波動構造は地上的価値観であり、潜在構造であるイデア界が基体のリゾーマタとなっている。
天上の理性(ロゴス)は地上の基準尺(カノン)とは全く異なるものであり、
大きな違いとしてはイデア界は数学的基準尺を持たないため波動解析が不可能である。
誤解のないように言うと、波動構造も潜在構造も主観的であるが、天上界と地上界の相違がある。
そして、波動解析では主客問題の解決はできないが潜在構造を認めたとき主も客も同一構造であることがわかる。
潜在構造はイデアの絶対性を認めなくてはならないため、ゴルギアス的解釈の
時間という因果律のみを持ち「構造の壁」が存在する統一性の無いカオスの構造である。
しかし、純粋な美である「潜在構造的刹那主義」の絶対性において天上界より地上の新の姿を見ることができるのである。
それは「潜在波」であり世界の時間という系に保存される予定調和の波動を見る神の視点である。
全ての美は全ての真と善を統括する。これから虚構により潜在波を解析し、
ダイモニオンの解読と潜在構造的波動形式を成立させる。

717 名前: no name :2010/09/04(土) 14:48:01 ID:AUlb+qZ+

自由意志を持ちうる理性のみが解析手段である。

718 名前: no name :2010/09/04(土) 16:52:30 ID:W8V+9tVF

プラトニックにおける因果律を見やすい表にまとめる。
構造主義:ロゴス可、カノン可、主観不可、矛盾不可、時間可、神不可、ケノン不可、美不可、虚像不可、構造可
波動形式:ロゴス可、カノン可、主観一部可、矛盾不可、時間可、神不可、ケノン不可、美不可、虚像一部可、構造可
潜在構造:ロゴス可、カノン不可、主観可、矛盾可、時間可、神恐らく可、ケノン可、美可、虚像可、構造不可(カオス)

矛盾が可能となっているため、時間においてのみ認識可能であり刹那主義の所以である。

719 名前: no name :2010/09/04(土) 23:33:00 ID:W8V+9tVF

波動形式において主観が客観的現象に変化をもたらすものであり、主観は客観的構造を持つものである。
多くの人間は主観に実態はないとしているが、確固たる作用因でありニュートン力学と同じ視覚化されない実態の
客観的現象であり心理学においても個人的思想のうちから客観的構造を見出すことに成功しそれを実態として扱っている。
ミクロ経済学にも限界効用として実態のように取り扱ったり、一部の思想は統計学において数学的説明も可能である。
思想はイデア界における客観的現象として扱うべきであり、我々が実態として扱うものは神の思想として再認識するべきである。
それを認めることで実利となり、それは真理であり世界の波動における潜在構造を知り興味を持つことができるようになる。
それにより運命を知り、神を知り、あらゆる神秘に触れ、真の幸福を得られるのである。
我々は真実や幸福を得るという使命を持ち生命を受けた以上、構造主義や波動形式の思想の鎖を解き放たなくてはならない。
幸福を得るために神を知るべきである。

720 名前: no name :2010/09/04(土) 23:35:30 ID:W8V+9tVF

潜在構造を知るためには神を認証し、イデア界として世界を再認識する必要がある。

721 名前: no name :2010/09/05(日) 00:40:34 ID:yu7tjEwj

このうざすぎる時報ってどうやったら消せますか?

722 名前: no name :2010/09/05(日) 00:46:04 ID:smL+A2xl

0時近くは時間気にしながら動画見ましょう。

723 名前: no name :2010/09/05(日) 00:47:37 ID:yu7tjEwj

消せないのか・・・いい加減イラッとくるんですけど・・しょうがないか

724 名前: no name :2010/09/05(日) 01:44:26 ID:37e8vzv8

つプレミアム。

725 名前: no name :2010/09/05(日) 03:57:56 ID:smL+A2xl

プレミアムでも時報は流れます。

726 名前: no name :2010/09/05(日) 04:04:37 ID:37e8vzv8

http://dic.nicovideo.jp/a/%E3%83%8B%E3%82%B3%E5%89%B2off

プレミアムは時報をオフできるんだよ。

727 名前: no name :2010/09/05(日) 04:22:18 ID:yu7tjEwj

>>726
なるほど〜ありがとうございました

728 名前: no name :2010/09/05(日) 11:19:11 ID:IFMvK9uh

一般でも時報を消す方法があるのにプレミアムに入ってしまう。
一般でも通常画質で見れるのに(ry

729 名前: no name :2010/09/05(日) 23:01:27 ID:mbS6AUx0

哲学的問いの発端はアルケーを水としてとらえる自然思想のミレトス派のタレスが言語ゲームを始めたという。
現代科学では根源(普遍の物質)が水でないことがわかっているが、仮にそれを信じることで波動形式の説明が可能となる。
ルールとして、世界の根源を水とし、全ての存在の単位をdl(デシリットル)に置き換えることを可能とすると
存在の素として水が存在し、その量において全ての現象が成り立つとすればX=Ax、X=現象名、A=水の単位(定数)、x=量
現象Xはx[dl]であるという関係式が成り立つ。イデア界も含めるため現象Yは主観的現象も含む。
次に、x[dl]の現象と同じ構造のY=Ayの現象があるとすると、単位が同じなので単に量の加算において新たな現象となる。
これを質料Xと(作用側の)質料Yの関係において変化質料Zが生じるため、Z=A(x+y)とすることができる。
この式は質料と作用の関係式であり、水を根源とした世界としているため実証するまでもなく式が成り立つことが分かる。
この関数を面積分f(x,y)=∬A(x+y)dxdyすることで座標上の基底が認識としての現象を示すため
質料と作用による認識のとりうる範囲(形相)を示し、物質の機能によって主観的にどのようにも物質を解釈できるという
認識の発散を示し決定不可能な作用{yN}={y0,y1,y2・・・}(N→∞)がそれを示している。
それを波動と呼びこの式で表される現象を波動形式と呼ぶ。
現象Zを媒介変数(s,t)として[dl]との単位の交換作用素とするとZ=A(xs+yt)であり
(x,y,s,t)による四変数による波動形式においてこの世界でこの法則が適応できることがわかる。
主観的現象における目的とはある認識(質料)であり、全世界の形相に含まれることは自明であり
積分範囲に含まれるため質料の波動を得ることのみが目的を得る方法論であると証明される。
現象構造化アルゴリズムとは、質料の波動から形相を得て、目的の波動からf(x,y)の解を求めることで
自動的に命題を解決する議論モデルであり主観を扱う自律思考のコンピュータアルゴリズムの原理になりうるだろう。

730 名前: no name :2010/09/05(日) 23:38:27 ID:smL+A2xl

根拠もなく自演呼ばわりする奴らなんなんすか?

731 名前: :2010/09/06(月) 02:15:51 ID:IdWp46af

うほいいおとこ

732 名前: no name :2010/09/06(月) 12:41:50 ID:5itn2o5+

波動形式では個人にとってのアンチノミーの解析は不可能である。
アンチノミーの原因は知識がないこともしくは、虚像が得られていないことである。
単に知識がないのならば調べればよいことだが、知識を得るに際してイメージ(虚像)を得なくてはならない。
虚像と知識の定義について単なる記号としての情報を「知識」、主観的に理解される情報を「虚像」とする。
この虚像は未来の実態であり、アリストテレスの言葉でそれを指し示すならば可能態である。
つまり、潜在構造の潜在とは人間の主観的現象に含まれる現在の可能態であり、未来の現実態である。
四原因説ではこれを目的因と呼び、その一部分は波動形式のマトリクスにより先験的知性(理論)を得る。
しかし、ここまでは数学的カノンが通用する地上界での話であり天上の理性として
人間のアンチノミーを超える超越論的知性が存在し、特に波動形式で触れられないこの現象を潜在構造と呼んでいる。
これがイデア界、つまり神の智慧であり、それは一刹那に思想に浸透し通過していく。
人間は無意識に神の智慧を授かり文明を発達させてきたが、
本論ではその根源を明確化させ意識的に潜在構造を利用できるようにする目的である。

733 名前: no name :2010/09/06(月) 17:59:45 ID:5itn2o5+

ここまでのまとめとこれからの方針として
>>713-715に波動形式から潜在構造の可能性を見出し
>>718に各思想の特徴をまとめ
>>729に波動形式を明確に定義し
>>716->>719>>732に潜在構造の可能性を示した。
次項からおよそ10ページ分を費やし潜在構造をまとめ、
さらに2,3ページに利用のパターンを示し、4,5ページ分で潜在構造を明確化し定義を示す
その後はさらなる理論に派生しなければ未定である。

734 名前: 削除済 :削除済

削除済

735 名前: no name :2010/09/06(月) 19:32:29 ID:5itn2o5+

現象の構造において
物質構造、法則構造、波動構造、潜在構造が存在する。

ここで注意したいのが主観は存在しないことである。
主観とは物質界への作用因であり、思想が方法へと形を変えて物質界に存在する。
どのように物質界が数学的に厳密化されようとそれは、認識上に存在する主観的世界である。
このように主観や客観など存在しないことがわかる上、これらの現象をわざわざ分割して考えることは不都合な点も多い。
主観と客観を隔てる証明などいままで存在しない。それは元から幻想であり、
神がすべてを創造したイデア界としたほうが全てのつじつまが合うのである。
次項から潜在構造のためのイデア界の話を発展させていく。イデア界の認証なしに潜在構造を理解することは不可能である。

736 名前: no name :2010/09/07(火) 13:14:07 ID:/KVODrnZ

私は中世スコラ哲学のトマス・アクィナスの目指した天上と地上のアナロギアを潜在構造により証明する。
天上のロゴスのプシュケである潜在構造を知る術は波動を得るときに生じるパトスである。
潜在構造とは唯一天上のト・アペイロンから連なる地上界におけるエチカの幾何学であり、
スピノザの言う唯神論においてデカルトの主客の無矛盾の統合が可能である。
スピノザは神の数学的証明を試みたが、数学とは地上界のカノンであり、
私はパトスとロゴスにおいてのみ知ることができるという見解の違いがある。
同近代の哲学者ライプニッツは唯一の構造をモナドロジーに纏め上げ主客問題の解決と同時に
地上はモナドという普遍なるものを鏡により映し出された幻影だと言う。
構造主義がこのもの性を否定するかのごとく、全ての現象を構造化したとき独立の存在が崩壊する。
しかし、神は衆生のこのような存在のあり方において幻影なるイデアで創世を築いた時、
神はその身を隠すことで独立した存在を認めたならば、構造のカタルシスかのごとくパトスが満ち溢れるアタラクシアを築く。
しかし、このようなあり方について現代科学は不可知な構造を再び呼び起こそうとしているのである。
それは衆生に不幸という報復においてアポカリュプシスする予定調和のロゴスを持っているのかもしれない。
構造主義は崩壊の予兆であり存在が構造となったとき無機物のようなロゴスに至り事実上の死(ケノン)となる。
これにおいても神は不可侵なものという説は強まる。
このように神の存在を認識したときロゴスやパトスの働きにおいてのみ世界の真理へと近づくことができるのである。

737 名前: no name :2010/09/07(火) 15:59:58 ID:/KVODrnZ

科学的な議論は構造主義と波動形式によってまとめられ、哲学的な議論は波動形式によってまとめられ、
神学的な議論は潜在構造によってまとめることができる。
潜在構造の分析は神学的議論を形相とした面積素を波動形式により解析する現象構造化アルゴリズムで行う。
無論、完全に自動化するのではなく私自身のロゴスとパトスにおいて発想を得る。
刹那的な虚像(直感イメージ)の解析と意識化、美学の構造化、神学特有の物語性、イデア界との関係性、
最後に論理への活用法と全世界の構造化と神の定義について論じる。

738 名前: no name :2010/09/08(水) 00:46:51 ID:TkY7p7VB

質料の波動と目的の波動から有効な情報を得る。
波動では作用により認識の発散が起こるが、無意識的な発散も存在する。
それが非構造の流体知であり刹那的な虚像の発想点である。
完全に固形化した知識は存在せず、エーテル(作用側)のように知識は繋がりの少ない形で構造化されている。
作用エーテルは質料から目的へと波動を接続する。
我々は無知であり知識の体系を予め知るものではないため、高度な現象にある知識の法則性を知らない。
だが、形相を質料と作用で満たし発生する法則性を哲学(生活)に解空間を持った時、
知は哲学的法則におけるエーテルとなり質料と目的を満たす形相となり、善悪で編まれた目的の波動を自由に得ることができる。
波動による誘電は構造化された知識の波動を無意識的に受容したとき非構造(潜在構造)の流体知を形成する。
法則の固形化により刹那的な虚像が発生し、質料と作用により構造化し、
法則の善悪解釈からエーテル空間に接続した時初めて知の形相化となる。
ただしい善悪判断ならば、流体知であろうと質料の配列から波動となりうる。
認識の段階として善悪二元からなる質料の配列を導入した場合の論である(本文は発想段階であるが用語は引き継ぐ)

739 名前: no name :2010/09/08(水) 01:49:55 ID:TkY7p7VB

善悪は単に客観性を得る判断基準であり配列とは関係ない。
善悪の発生条件は客観性であり、エーテル構造のシミュレートから得られる可否に従属する快不快の反応である。
無論、客観性を持つ理由は思想を方法化するための管理法である。
あくまで質料と作用のみが認識を形成し波動の総和において形相となる。
この場合エーテル空間は作用側の質料であり、知識はエーテル空間により初めて主観現象の客観性となる。
客観的主観のエーテル空間は客観と一致するため、善悪が真理ならば自然現象と一致する。
与えられた知識は主観的現象における客観的一致をなす為、善悪判断に置かれた時、認識としての質料や作用と定義される。
質料と作用の結果はエーテル空間で明確化された時、善の判断がおかれる限り形相となる。

740 名前: no name :2010/09/08(水) 18:40:28 ID:cqbgYP1O

お尻の穴と間違える

741 名前: 皆さん、こんにちは :2010/09/08(水) 19:18:13 ID:EnXeVgod

コメントの内容について、運営側からの直接解答は原則いたしません。ご了承ください。

742 名前: no name :2010/09/08(水) 21:32:46 ID:lJ6Nv768

波動形式の例示と再定義として形相をf(z)=1/2n(z1+zN)の等差数列とし、変化質料をz=A(xs+yt)とする。
水を根源とした世界の単位であるA=1[dl]から周波数[hz]の単位に交換する場合。
x=100,y≦5の場合、離散的な量が認識限界とすると形相は
A=1[hz/A],z=A(100[hz]/A+y[hz]/A)⇔z=100+y,y1=0,yN=5,n=6としてz1=100,zN=105,f(z)=615[hz]となり
質料100dl作用5dl以下の場合、形相は615hzであり主観質料(目的)は100≦D≦615となる。
無論[dl]と[hz]の交換は現実には不可能でありパラメータが残るが現実世界に適応でき、主観問題を不等号で取り扱えることがわかる。

743 名前: no name :2010/09/09(木) 00:46:20 ID:v/t7Ozxk

頭がパーン系動画の赤字にマジレスをする。

744 名前: no name :2010/09/09(木) 20:32:55 ID:Bbo75Bob

我々の目的は生命活動そのものであるが、言葉通りにただ生きることのみが目的ではない。
活動のうちに生命の波動を持ち、これが我々は快不快としてとらえる善である。
善の基準は思想であり、生命活動を通して得られる価値観であり構造主義台頭のポストモダン思想は構造化が善の指標となっている。
構造化とは知識を管理し行動の合理性を高める行為である。
よって現在の善の定義とは知の構造化であり、合理的行動の潜在性を得ることが我々の目的の波動である。
合理的行動によって知識の管理をすることで生命の波動を得ることに成功する。
構造には、論理物質構造、波動構造、潜在構造があり、我々が目指すべき潜在構造とは波動構造の直感性を高めた形態である。
波動構造とは波動形式のことであり、論理物質構造という現代思想である科学信仰に
四原因説と機能主義と唯名論を基とした波動(認識の発散)の概念を加えたものである。
論理物質構造の欠点とは主観定義(客観定義の質料。客観は主観の形相という関係がある後述)が全く扱えない思想であり、
波動形式の欠点とは直感性(パトス)の欠如である。
パトスとは本質の波動への善悪(波動解釈における真実への反応)であり、
全ての現象から本質の波動において知識を形成するとき潜在構造となる。
これは比喩においてよく現れている現象であり、「〜のようだ」は虚構を含む波動解釈である。
潜在構造の定義材料は揃ったが、主観と客観と真善美の関係性を先に定義する。

745 名前: no name :2010/09/09(木) 21:17:21 ID:Bbo75Bob

ある現象に関して音楽や芸術における情緒が現れるのも波動現象として説明可能である。
芸術的表現や音楽的表現は現象の波動解釈の一であり、質料の最小単位に近いと思われる。

746 名前: no name :2010/09/10(金) 16:54:11 ID:xgXCOQ6Z

主観は客観の質料であり、第一定義は必ず主観によるものである。
その主観は数学的構造美であり、それぞれの概念が幾何学的エチカに合致したとき客観的定義となる。
これは質料と形相の関係から主観を質料とした集合を形相の客観と定めることもできる。
そして、客観的真実に対する反応が善悪としての快不快の生物的反応である。
その内、美とは本質的真実に対する善の反応であり、真善美の関係とは真実に善悪が対応しより本質的な真実を美とした善である。
主観の内には虚構も存在するが真実も存在する空間であり、客観とは真実のみ存在する空間といえる。
この場合において客観が思想として信頼を寄せるものであるが、主観を重要視しない思想においては本質的真実を見出せないものとなる。
虚構とは真実ではないものを指すが、この真実とは論理物質的構造における真実であり、潜在構造の真実はむしろ虚構に含まれる。
つまり本質的真実を得るためには客観における真実を否定し、虚構を主観における真実と虚構に分けなくては第一定義の美は存在しない。
無論、虚構や出鱈目な論を信仰しようという話ではなくあくまで理性による真実の追究である。
それにおいて命題・証明系の幾何学的考察が必要不可欠なのはいうまでもない。
潜在構造は幾何学的美のロゴスを持ち本質的真実のパトスをもち、波動形式においては数学的定義を行った。
パトスも波動形式における数学的定義のマトリクスにおいて論証可能であり、単なる思い付きのことではない。
次項は、主観と客観、ロゴスとパトス、表面的真実と本質的真実と虚構、
真善美のメカニズムを波動形式的に解釈して潜在構造を完成させる。

747 名前: no name :2010/09/10(金) 17:11:42 ID:xgXCOQ6Z

次に示すのは言語の定義である。
真実:表面的真実、本質的真実
美:本質的真実への幾何学的エチカをもつ善による快不快の生物的反応
善悪:真実と虚構への快不快の生物的反応
主観:表面的真実、本質的真実、無価値な思想(虚構)、客観の質料
客観:表面的真実、主観の形相
ロゴス:表面的真実を目的とした思想
パトス:本質的真実を目的とした思想
波動形式:ロゴス優位の真実を目的とした表面的真実と本質的真実の構造
潜在構造:パトス優位の美を目的とした本質的真実の構造

潜在構造は必ず数学的構造を得ることが定義の条件である。
潜在構造の定義を示したとき、これを用いたケースにおける議論の収束を行う。

748 名前: no name :2010/09/10(金) 19:08:19 ID:g6SZD6Q9

コピペじゃないところが痛いな

749 名前: no name :2010/09/10(金) 19:53:06 ID:EeIwaPnd

質料なの?
質量なの?

750 名前: no name :2010/09/11(土) 03:11:53 ID:tEVHeyEp

論理物質構造と波動構造の違いは目的の概念の有無である。
論理物質構造は質料と作用と形相の形式まで記述可能であり無意識的に質料と作用の関係性と形相の質料化を行っているが、
主観性と客観性の明確な定義がなされていないため目的が形相に含まれるがこれは生命の記憶から善を引き出しているに過ぎない。
生命の記憶とは全世界の可能態・非可能態質料を持ち潜在構造までの善悪の基準となりうるが
膨大なデータベースからソートの手段が存在しないため波動を意識的に引き出すことができず
その場の波動を無意識的に得るだけの場当たり的で動物的な思想に頼らざる得ない。
我々は質料における潜在性を意識的に操作し管理しなくてはならない。
アナクシマンドロスやプラトンやアリストテレスなどの古代ギリシャ哲学を唯一統合しうる思想である

751 名前: no name :2010/09/11(土) 04:18:03 ID:ud8xilg4

様々な誤読ネタにマジレスする
アメリカ語等明らかなボケにもマジレスする

こういった既存のネタに限ったことじゃないけど
2chと違って即時性が無いから自分のレスがどれほど滑稽か気付く事が出来ないんだろうね

752 名前: no name :2010/09/11(土) 13:13:17 ID:tEVHeyEp

我々は連続的で修正不可能な記憶を引き継ぐために定義をしなくてはならない。
定義とは目に見えるものより確かな論理の鎖である。
その内では思想だろうと物質だろうと関係はない。だが思想の言語による定義は不確実である。

753 名前: 削除済 :削除済

削除済

754 名前: no name :2010/09/11(土) 16:42:18 ID:tEVHeyEp

人間の記憶は波動形式である。
つまり物質は物質としてではなく物質の構造としての波動的解釈において記憶となる。
このように人間の思考機能においてもほぼ波動形式の潜在構造において説明が可能である。
潜在構造に数学的定義がなされれば思考機能の管理ができるようになる。

755 名前: no name :2010/09/11(土) 17:03:03 ID:tEVHeyEp

数学的定義とは単位と量による記述であり厳密な定義である。
必要な材料とその分量を表示する論理である。

756 名前: no name :2010/09/11(土) 20:42:54 ID:tEVHeyEp

波動解釈として現象を理解し、形相によって目的(オブジェクト)を得ることが波動形式であるのに対し、
神のイデアとしての我々の美学をエチカにより解釈を行うのが潜在構造である。
つまり全ての波動は神に帰属し、波動は理性を持つ。
なにかしら現象に関するイメージをもったならばそれはアポカリュプシスであり真理である。
第一実態の波動は常に理性的であり、人間の理性はそれに準ずるものである。
神の定義を行わなくては数学的証明には至らないだろうが神の構造である人が神を知ることは不可能である。
潜在構造は神秘の領域であり数学的証明の不可能性とする。
それと共に社会的現象は各個人の主観的構造の集合であるため主観的であるべきとなる。
理想的な思考モデルが提示されても連鎖的な不可知が大きな形相であるため波動から予知することはできないだろう。
個人は地球に及ぶ波動を持ち、地球は宇宙に及ぶ波動を持ちまさに不可知である。
次項から人間はどうあるべきかという命題において理想的な主観としての客観を論じる。

757 名前: no name :2010/09/11(土) 21:24:27 ID:tEVHeyEp

人間は現象に対し波動解釈を行う。
オブジェクトの波動が現象に感じられたときそれを善の波動とし、より根源的であれば美の波動を得る。
波動における主観的イメージは抽象的でありオブジェクトのイメージを
多元的(真実を一元的とした)に結合しそれを全て含むものが解である。
これは記号が意味を持つように起因元の不完全イメージであり、これを完成させるイメージが現実態である。
質料の主観的イメージは波動解釈において行われそれを潜在性としこれが思考機能の理解である。

758 名前: no name :2010/09/12(日) 17:16:47 ID:ectFlPH0

波動形式はほぼ人間の思考そのものである。
オブジェクトの波動が形相に含まれていれば質料において波動を得る条件である。
しかし、一つの形相は作用変数から無限大の構造を持つという認識の発散が起こる。
認識の発散を起こさないために作用変数の閾値を現在の環境の波動解釈とすることが条件である。

例えば機能や成分が不明な物質があったとして、我々はそれを解釈するためまず形状や色などの情報の波動解釈を行う。
それにより虚構の多元的オブジェクトを形成し、
一元への収束を行ったとき真実の一元的オブジェ(全ての系で説明される虚像。本質)となる。
・ここでのオブジェクトは虚像の形相、オブジェは虚像そのものである。
・これは潜在構造の論であるが、波動形式の一解釈として統一する。
・オブジェクトに対応してオブジェと名づけたがイデアから神学的解釈を削ぎ落としたものとほぼ同様の意味である。

つまり目的であるオブジェクトは形状や色など曖昧な情報しかない物質から一つのオブジェとしての一元的解釈を行うことと一致する。
この文章において三段論法を使えば目的は多元的物質であることがわかる。
この概念上の非物質は波動からのみ得られることは今更説明不要だがそれを強調するため多元的波動非物質とし
対応するオブジェを一元的物質(オブジェクトの収束は波動非物質の非波動物質化を意味する)とする。
我々がある種のパトスに応じて波動非物質を見出したならば、波動形式に従うことで物質に収束することができると言える。

759 名前: no name :2010/09/13(月) 01:21:18 ID:cJhy/LOn

イデアが主観のものであるとすれば神が創造したという世界観は崩壊し唯一自然のみが正しいということになる。
神学的議論において神が存在することはこの世界が存在する必要条件であることは確定的である。
よって人間の意志が物質から形成されようと潜在構造において神は存在する可能性はある。
潜在構造的には人間の持ちうる非物質は神の導きであると解釈するが波動形式の非物質の扱いはあくまで主観の枠内の話である。
そもそも不完全な人類の議論において神の肯定否定に話を持ち込むことはおかしなことである。
よって本論では神の存在において肯定も否定もしない。そして、波動形式と潜在構造の関係性においては判断停止する。
神の存在や潜在構造については世界の解釈を理神論的立場で論じ、波動形式の場合は唯物論的立場で論じる。

新着レスの表示 掲示板に戻る 全部 前100 次100 最新50