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「自重」を「じじゅう」と読む
善を知ることは形而上学を知ることに近い。
私は無意識にニュートン力学の仮定を信じ込まされていたのかもしれない。
ロマン派を代表するゲーテの戯曲がシュルレアリズムを通じて
カントの物と区別される物自体という独特な転回を語りかけるかのように、
物理学的知性との対抗派閥を築き、一の感官を二つに分裂させるかのような眩暈を感じざる得ない。
このようなことならば初めから物質を信仰しなければよかったのだ。
本質は形の上の存在である表現のみを信仰することのみが知性的であり続ける条件だったのかもしれない。
しかし、一介の庶民がそのような知性を持って生活する余裕などどこにあるだろうか。
カテゴリーを超える知など存在せず、信仰のみが全ての観念を属性付け、
認識は不確定性原理のように物質と精神の両極を同時に観測できない形式となっているのだろうか。
訂正>>981
ディレクティステス→ディアレクティケー
訂正>>981
宗教革命→宗教改革
精神分析的に美学は精神病への効果も考えられる
強い自我は否定されることを恐れ他者を斥する力を求めたがる
自我を分裂させないための唯一にして最善の手段である
猶予期間があるならば義務と言う名目の
自我を否定する構造を作り自己への固執を捨てていかなくてはならない
理性を美学でその色を薄めたとき自然と合理性とは別の決まりごとが増えるだろう
四次元空間に拡張された配色は同一のものは少ない
すなわちそれは精神に実在する鮮やかな色と組み合わせである
実在という再現性をもつ概念は信仰する理由としては十分である
三次元を直感的に認識するには物質の曲面に影をつけたり
質量感を主張するような配置なども可能である
認識をするための工夫は言語的、物理的などから制約を作ることで精神や物質の状態を写し取ることができる
そして作品は自己を主張する生命力を持つ
音や連続・非連続、位置、タイミングあらゆる要素は表現手段である
そこから思い出されるイメージとそれらの統一感が作品の生命の詩であろう。
その要素は生物の肉体が分断されたとき生命を保持できないように
作品も同じくイメージの統一性が損なわれるため分解しすぎは不可である
だがどうしてもイメージが限られる場合、要素への分解は可である
言論弾圧気質のサイトであることを理解せずに利用する
いくら自由を主張しようと因果律は存在する
因果律を否定し事実を見定めようともせず自由であろうとすることは
逆に事実に追い込まれても曲解しますます立場を悪くする
即ち不自由であろうとすることと同義である
直感とは本質を映し出すものではなく表面を映し出すものである
そして直感とは分析と同義であり、根拠も無く発生するものではない
直感的イメージとは単なる想起のことに他ならない
記憶と想起と情報の離散結合と善悪付けが精神の要素である
善悪とは本来主観的なものである
部分的な善悪はほかの部分的な善悪とは全く異なる
妥当性は信仰を築くが精神文化の妥当性は存在しない
即ち他者の精神を自分の精神を通じて知ることはできない、つまり一般大衆の心理を知ることはできない。
しかし活動の妥当性が想定できるものに限り共感が可能である
大局の力学は存在しないと考えてよい
我々はあくまで個を主張する存在に過ぎない
ただし、常識という集会場での理性的見解である
どっからどこまでが初心者の定義だよ
アホか
井の中の蛙大海を知らず
>>997ならうんこしてくる
まんこなめてくる
表現とは概念を写すものである
しかし、言語で表せないものを直感で知る必要がある
これを現象学の言葉で『本質直感』と呼ばれる
語彙とはその意味より形に表される美学である