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>>97 日本には南京を見た人が何人もいる訳です
南京といってもイササカ広いんだよね。
国際安全区とした場所が4平方kmだが、南京市となると400平方km
城外の西洋人の目に付かない場所に、分からないように連行して殺害してます。
日本人新聞記者でも中には、目撃し戦後になって公表した人もいる。
朝日新聞社支局付近の大方というところで、目撃してます。
こういったことは見に行かないと、部屋の中にいては見れないものなんだよ。
ーーーー引用開始ーーーー
朝日新聞の今井正剛記者は、1956年12月号の『文芸春秋』に、「南京城
内の大量殺人」を書いた。1937年12月15日の夕日がさす中、朝日新聞
支局附近、大方巷で見た大量殺人の光景を次のように書いている:
〔支局近くの夕陽の丘だった。空き地を埋めてくろぐろと、4、5百人もの中国人
の男たちがしゃがんでいる。空き地の一方は崩れ残った黒煉瓦の塀だ。その塀
にむかって6人ずつの中国人が立つ。
2、30歩離れたうしろから、日本兵が小銃の一斉射撃、バッタリと倒れるのを
飛びかかっては、背中から銃剣でグサリと止めの一射しである。ウーンと断末魔
のうめき声が夕陽の丘いっぱいにひびき渡る。次、また6人である。
つぎつぎに射殺され、背中を田楽ざしにされてゆくのを、空き地にしゃがみこんだ
4、5百人の群れが、うつろな眼付きでながめている。・・・。親や、夫や、兄弟
や子供たちが、目の前で殺されてゆく恐怖と憎悪とに満ち満ちていたにちがいない。
悲鳴や号泣もあげていただろう。しかし、私の耳には何もきこえなかった。パパーン
という銃声と、ぎゃあつ、という叫び声が耳いっぱいにひろがり、カアッと斜めにさした
夕陽の縞が煉瓦塀を真紅に染めているのが見えるだけだった。