(>>378の続き)
1927年〜28年、支那大陸にいた8000人にのぼる外国人宣教師のうち5000人が退去させられている。
どこへ退去したのか?日本である。
しかし日本に避難したものの、宣教師は日本人が好きになれない。
「可哀想な人間」がいないからである。
アメリカ人とは不思議なもので、可哀想だと思えない相手は好きになれない人種である。
宣教師は特にこの傾向が強い。
可哀想な人間を見ると、我が身の危険も顧みず、救ってあげようという殉教精神が湧き上がるのである。
だから支那人は全く有難い存在なのだ。
ところが日本は、ドイツに似て、規律正しく、町は清潔で落ち着いている。
これでは宣教師の出る幕がない。
だから宣教師に好かれないのである。
(タウンゼント)
南京戦の際、安全区にいた宣教師たちが中国のプロパガンダに加担して「虐殺」のウソ話を広めたのも、このためである。
そして宣教師たちは、自分たちの布教の失敗を隠蔽し、米国民からの寄付を募るために、
実態とかけ離れた「善良で前途有望でありながら日本に虐げられている可哀想な中国人」を宣伝しまくり、世論を煽った。
これが日米戦争の遠因である。
一方でタウンゼントは中国の実態を訴え続け、
「アメリカは極東に手を出さず、日本に任せよ」と唱えたが、聞き入れられず、
日米開戦後は「反米活動の罪」で1年間投獄されてしまった。
(小林よしのり)
まだまだ続くよ