>>226
>日本だよ。
その証拠を出してよ
いい加減に勝手な断定はやめてよ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%B8%85%E6%88%A6%E4%BA%89
どこに、「日本がしかけた」なんて書いてあるの妄想ジジイ?
>朝鮮戦争でも北朝鮮が、輸送計画など奇襲攻撃を行うには準備万端必要なの。
>その計画が完全に出来て攻撃したからこそ、大規模な戦果があったの。
嘘だね「日本が強かった」「清国が弱かった」ただそれだけの話
>当時、日清間の戦争は、海軍力で優位にたつ大国の清が日本に侵攻するとの想定で考えられていた
>(1885年(明治18年)10月に就役した清の「定遠」は、同型艦「鎮遠」とともに当時、
>世界最大級の30.5cm砲を4門そなえ、装甲の分厚い東洋一の堅艦であり、日本海軍にとって化け物のような巨大戦艦であった)
嘘つくのも大概にしてね?
日本と清国の軍事力を見て、日本が「勝てる」などと思った事実は無い
>ちなみに戦時中、元勲のひとり山縣第一軍司令官は、
>同じく元勲の井上馨あてに「平壌陥落は実に意外の結果」で、「ひきつづき〔黄海〕海戦大捷これまた予想の外」と書き送った
当事者がこう述べてるのに、キチガイの妄想はひどすぎるよ?
>翌22日、御前会議が行われ、23日、清の駐日公使に内政改革の協定提案が送付された(第一次絶交書)。
>まさに開戦前夜の状況になったものの、28日に条約改正交渉中のイギリス外相が調停に乗り出す動きを見せ、
>30日に駐日ロシア公使が日本の撤兵を強く要求する公文を陸奥外相に渡してきたため、日本の開戦気運に急ブレーキがかかった。
>しかし7月9日、清の総理衙門がイギリスの調停案を拒絶した。
>10日、西徳二郎駐露公使より、これ以上ロシアが干渉しない、との情報が外務省にとどいた。
>11日、伊藤内閣は、清の調停拒絶を非難するとともに清との国交断絶を表明する「第二次絶交書」を閣議決定した。
日本は第一次絶交書で清国に最終提案を行ってるし、イギリスの仲介も得てます
それを蹴ったのは「清国」だから