>>339 中国人は命令があろうが無かろうが戦前から平気で日本人を惨殺し強姦していた。
日露戦争の頃は、日本の兵隊の軍規は守られ中国人やロシア人に対し紳士的な
応対をしていたという。当時の規律は世界一といえる。
ロシア兵の捕虜を暖かい四国に収容所を作り、温泉にまで入れてたという。
それが南京虐殺の頃になると、捕虜を末代までの恥とする思想が兵隊に蔓延し自分
らも死ぬまで捕虜にならない代わりに、捕らえた捕虜に尊敬の念を持てなくなった。
捕まえた捕虜を片っ端から平気で殺してしまう、残虐な日本の兵隊が多くなった。
東条英機が作ったという「生きて虜囚の辱めを受けず」という戦陣訓の思想だ。
これが南京虐殺を起こす大きな原因になったんだぜ。
「おごれる平家 久しからず」というが、どんな原因で日本軍はおごれる平家になったん
だろうね。
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捕虜と言えば、暗く厳しい状況で、生きる希望も持てず、人間の扱いを受けること
ができないというイメージがあると思います。が、ここ松山収容所は全く違いました。
もともと、松山は四国八十八カ所巡りのお遍路さんへの「御接待の心」というもの
が根付いています。それに加え、ハーグ条約に基づき「捕虜は罪人ではない。祖国
のために奮闘して敗れた心情を汲み取って、侮辱を与えるような行為は厳に慎め」
と何度も訓令を発していました。よって、捕虜達に戦士への敬意をもって接したのです。
http://www.dogo-giyaman.jp/kankou/17/