>>332 現場指揮官だったら…虐殺なんてやらなかったと思う?
やりたくはないけど食料調達するためには、血を見ることもあるだろう。
食料を百姓から取ったら、百姓が抵抗するのは当たり前だが部隊の兵士を飢えさせ
て戦闘行為なんて出来ることじゃない。
たぶん虐殺行為に慣れて、南京につく頃には殺すことに無感覚になってたでしょう。
命令であればどんな残酷なことでも平気で実行できるかもな。
ーーーー引用開始ーーーー
16日まだ正午にならない時、突然、7〜8人の銃を持った日本兵が来てついて
くるよう指示した。華僑招待所の後ろの空き地まで来ると、数百人が地べたに
座り込んでいた。午後5時ごろになると、5000人以上になっていた。
日本兵の命令で四人一列になり、順次下関方面に進んでいた。着いた時は
もう6時過ぎ、それから中山埠頭の河沿いの歩道に並ばされた。自分などは
河を渡ってなにか使役をやらされるのかと思った。ところが、結果はあの未曾
有の残酷非道な大殺りくであった。
新式の乗用車がやってきて、車から下りたのは高級司令官のようで、たくさん
の帯刀者が前に駆けより敬礼した。司令官がなにか二言三言言いつけ、それ
から散開させた。同時に道路の中央には十数歩おきに機関銃が据え付けられた。
約10分後に銃声が響き渡った。時刻は午後7時頃、それが大殺りくの始まりだった。
殺りくは夜10時頃まで続いた。そばにいた増栄が殺されるのを待つくらいなら河に
跳びこんで死んだほうがいい、とささやいた。
(梁廷芳の証言 より)