外国人参政権について part2


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■外国人参政権について part2

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308 名前: 恵也 :2010/05/02(日) 11:36:50 ID:BrhbnZ0D

>>288 「少なくとも陳寿は壱与の使いには会ったはずだ」←陳寿が晋に仕えた
 のはその二年後で、とっくに壱与の使いは帰っていた

この話はwikiで調べさせてもらったが、どうも怪しい。
魏志倭人伝は、陳寿という同時代の作者が役人の立場で書けたもの。
ところが陳寿のことを書いた晋書という書物は、晋が滅び匈奴が進入、南北朝時
代の後、隋が出来、その後の唐の時代で陳寿が死んで300年位して書かれた物。

日本でいえば、今の人間が赤穂浪士のことを書いてるようなものだ。
そんなむかしの人間を、何年に晋に就職したとか、蜀で人に憎まれてたとか、ワイロを
要求していた不届きな奴だという記述には非常に怪しい雰囲気がある。
いくら陳寿がベストセラーの三国志の作者だとしても、行き過ぎだよ。

日本書紀を作った舎人親王なんて、まったく記述なんてされてないだろう。
タカが三国志・魏志倭人伝の著作者に、そんなバカ詳細な記述があるという話が、
俺にはどう考えても可笑しすぎる。

まあ陳寿の記事で信用できるのは生年月日と、死亡時期くらいだろう。
よって陳寿が魏の役人であったと、俺は推量を変更する。
晋書は魏志倭人伝にくらべたら、天と地の差があり、国書だとしても玉石混交だ。

しかし卑弥呼が、晋書では公孫氏の血縁というのには、ナカナカ興味がある。
これが事実とすると天皇家は、中国人の血縁ということになる。

ーーーー引用開始ーーーー
倭人があい攻伐したため女王を立てる 名を卑弥呼という 宣帝(晋の初代の
司馬イ)の平らげし、公孫の一族なり その女王の使いが、帯方郡に朝見する
http://www.webtelevi.com/yamatai.htm

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