外国人参政権について part2


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■外国人参政権について part2

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201 名前: no name :2010/04/26(月) 23:07:58 ID:Pc6SvTC/

>>190
>淳陀太子が高野新笠のご先祖とは書いてないよ

これはホントかよ…
Wikipediaの高野新傘の項目から引用

>高野新笠(たかののにいがさ、生年不詳720年頃生- 延暦8年12月28日( 790年1月21日))は桓武天皇の生母。光仁天皇の側妾、後に大夫人。
>百済系渡来人の武寧王から10代目で、6代前に日本名にして帰化をした和氏一族の出身とされ、高野朝臣新笠(たかののあそみにいがさ)の姓名を貰う

>続日本紀延暦8年12月28日条に
>皇太后姓は和氏、諱は新笠、贈正一位乙継の女(むすめ)なり。
>母は贈正一位大枝朝臣真妹なり。后の先は百済武寧王の子純陁太子より出ず。
>、、、、皇太后曰く、其れ百済の遠祖都慕王は河伯の女日精に感じて生めるところなり、皇太后は即ち其の後なり。

>日本書紀によれば継体天皇7年(西暦513年)百済太子淳陀死去とあり、純陁と淳陀が同一人物ではないかと考える学者も存在する。
>ただし、朝鮮側の資料には武寧王の子として純陁、もしくは淳陀に比定できる人物が存在していない。
>このことをもって高野新笠の由来を懐疑的に見る説もある

>また、 淳陀太子の没年と高野新笠の推定生年(720 年頃)には約200年の開きがあり、
>和氏は百済系渡来人といっても百済王氏のような新来の帰化人ではなく、相当な古来である。
>和乙継の名前をみても相当日本化した帰化氏族だといえる

日本語が読めないバカ恵也のためにまとめてやるよ

T、高野新傘は「和氏」の出身である
U、高野新傘は百済の武寧王の十代目の子孫である
V、高野新傘の6代前には日本に帰化し、「和氏」の姓を頂いている
W、百済滅亡時に日本に来た「百済王氏」などと異なり、その前から日本に移り住んでいた
X、父親の名前は和乙継と言い、当時の一般的な日本風の名前である

6代も日本に住んでて帰化してる(天皇から氏姓を与えられている)のに「チョーセンジン」呼ばわりって、差別じゃないの?

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