インドの建国の父が誰か?


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■インドの建国の父が誰か?

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211 名前: 恵也 :2011/01/17(月) 07:55:23 ID:TXnd+9qY

>>179 自分は「手の内」を求められると「金でもくれるのかい?」で逃げる事はどうなんだよ?

それは手の内じゃなく、教えて「くれくれ」病患者の質問だろ。
こいつらは自分の反論の根拠を、討論相手のソース疑惑で代用する。

ソースを教えろといっても、大昔のことで僅かな記録・証言から読み解く
ものなのにその証言を怪しげな証言でチャラにするのが手口。

実際に責任者として遺体処理を行った人の証言を、死んだ人の日記から
責任者がいなかったはずという論理を作り出す。

死んだ方の日記も、虐殺否定派の方が遺族から手にいれたという話だ。
これじゃ本人の自筆なのか、赤の他人が15を25に加筆したかさえ分からん
程度のもの。

しかし証拠価値に天と地の差であっても、重要な証拠を消す効果はある。
こんな信念を持った狂信者と付き合っても時間の無駄。

ーーーー引用開始ーーーー
職業軍人の間で当然のことながら大問題となり、機関誌「偕行」(91年4月号)
で取り上げ、毎日新聞のコピーを掲載、論評を加えている。実は「偕行」は前年
の9月号に太田総結書を否定する梶谷日記を発表していた。両者を比較すると
太田総結書は次の通りである。

 十二月十五日朝、将校二、兵三と許甫鎮より輸送船で下関に到着、十四〜
十五日は先着の安達少佐が三十隻の小船(一隻当たり五十体積載可能)を
使い、死体処理に当たり十六〜十八日の三日間は、安達少佐が東部地区、
太田少佐が西部地区を担当、五日間にわたる処理死体は十万
http://www.ne.jp/asahi/tyuukiren/web-site/backnumber/03/tominaga_saihanron.htm

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