アニメ2010秋 真剣評価 


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■ アニメ2010秋 真剣評価 

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1 名前: せもぽぬめ :2010/11/09(火) 23:10:23 ID:9Q3G2AU6

今期は結構豊作だという人が多いと思うが、みんなはどうだろうか。
豊作だった人もそうでなかった人も、中間感想会に参加しませんか?

「荒川アンダーザブリッジ×2」
前作同様馬鹿騒ぎの作品でよかったと思う。ただこれから”金星編”が始まるみたいだが、
原作を見る限りあまり期待できない。前半はいつもどおりで、個人的中間評価は7。

「俺の妹がこんなにかわいいわけがない」
原作を知っていたので視聴候補に入れていたが、まぁまぁの面白さに満足している。
親友の豹変には驚いたが、気をとりなしてみる事にする。OPのも結構いいと思う。
個人的中間評価は7。

「バクマン」
原作も全巻持っていてすごく期待していた作品。最初の超ヒーロー伝説のOPは高評価。
本編は話が進まない為末視聴があるが、服部や新妻が出てきた最近は視聴を再開した。
個人的中間評価5。

「とある魔術の禁書目録U」
個人的に魔術の話は好まないため飛ばしてきた。次は科学サイドの話なので期待。
”大破星祭”と”御坂との約束”編を特に楽しみにしている。
個人的中間評価4

「そらのおとしものf」
前回通り本編より無駄話が多い内容になっているが、まぁ暇つぶし程度に面白いので全話視聴済。
OPでも出てきたように”混沌”もそろそろ出てくるそうなので、本編進行とバトルに期待。
自重してほしい話もちらほらあった。個人的中間評価8。

「それでも町は廻っている」
作品名を知っているだけでまったく期待していなかったが、見たらすごく面白かった。
完全に新房にやられた感があったが、原作も良くできていたのでなるべくしてなった評価と思える。
OPの不思議な感じと、本編の展開にこれからも期待。個人的中間評価9。

「神のみぞ知る世界」
原作お4巻辺りでリタイアしていたので、これもまったく期待していなかった作品。
しかし見てみると、桂木の謎のかっこよさに惹かれるものがあると感じた。
個人的中間評価8。

「侵略・イカ娘」
今期が始まる前からやたら2chで騒がれたが、内容はそれ程でもなかった。
イカ娘は確かに可愛いが、話のマンネリが予想できてしまう作だと思う。
OPは電波的で結構良かったと思う。個人的中間評価5


以上が今期の自分の感覚です。
まだ半分なので完全な評価は出せません。もう半分も期待したいと思います。

2 名前: no name :2010/11/10(水) 11:36:42 ID:ziCxj0XL

何だこのオナニーレビューは・・・
まるでレビューになってない
10秒間だけ視聴して、表面上の雰囲気を嘗め回したかのようなレビューだな
まさか句読点を使えば「真剣な評価」になるだとか勘違いしてないよな
もう少し感性と語彙の幅を広げてから出直してこいよ
>>1がこれじゃ、ゆとりを評価するスレになっちまうぞ

3 名前: せもぽぬめ :2010/11/10(水) 20:51:15 ID:1Xx5a6l9

あんまだらだら長文だと頭悪いみたいジャン

4 名前: no name :2010/11/10(水) 20:59:57 ID:AqliBh4q

>>2
ゆとりの脳みそではあの文章で頑張ったつもりなんだろ

5 名前: せもぽぬめ :2010/11/10(水) 21:26:53 ID:1Xx5a6l9

長文でも頭の悪い長文と詰まった長文があるんだよ。

6 名前: A' :2010/11/10(水) 22:30:01 ID:RjGfTU7M

パンストだけでおk

7 名前: せもぽぬめ :2010/11/11(木) 19:02:48 ID:3d6wIO5J

パンスト太郎とか懐かしい。

8 名前: no name :2010/11/11(木) 19:05:47 ID:vq9BHDFl

ホントにただの感想文だな

9 名前: no name :2010/11/11(木) 19:14:17 ID:Col1XrJh

真実を形成する論法として、数学的論法というものについて考察し模倣したいと思う。
数学とは定義に従い公理を形成し現実的に数字に意味をもたせるものであるが、
さらに、定義自体を疑う数学基礎論という概念が存在する。
それは記号の意味を超えたより現実性の高い概念である集合論から入る場合が多い。
そして基礎から応用として代数学、幾何学、数学の枠を超え物理学さらには、我々の生活へも派生する。
ここまで特徴をまとめついでに例えるならば、
基礎というクォークが自然という公約を経てグルーオンを持ちハドロンを形成するかのようである。
クォーク自体はどのような物質においても結びつく公約を持つためあらゆる概念に対して親和性が高い。
0に近いほど真実に近づくという仏教やジャイナ教の教理に近いものを感じる。
さらに特徴として挙げたいものが発展しやすい学問ということである。
虚構の余地を許さない数学という名の理性は動物の感情に流されやすい理性を補い、神秘の力を与えるかのようである。
基礎から疑いようのない公約を経て公理へと運動することで厳密性が高く迅速な知識の運用ができる。
ただし、基礎とは仏教的姿勢のように正しいであるがゆえ常に不動であり受動的なものである。
応用するためには人間の感性という全く親和性のないものに意味づけを委ねられるのである。
こうして、数学と心は役割分担という名の対立事項を孕んでいるのである。
ではここで総括したいと思うが数学的論法とは、
一に定義、二に証明、三に公理、四に応用である。
1〜3まではなるべく「意味」による質量を増やさないようにし理性を追求し、
4で初めて意味を持たせ、心という混沌の海を制御するのが主な手法となりそうだ。
論法においては、一に定義、二に公理、三に理論、四は活用となりそうだ。
しかし一から考えを組み立てるのは相当鬱屈な作業と同時に最小単位が元々多くの意味を含む
言葉であるがゆえ虚構が混じりやすく使えないものになりやすそうだ。
やはり従来の論法である一に命題、二に肯定、三に否定、四に理論とした方が活用しやすいだろう。

10 名前: no name :2010/11/11(木) 19:14:56 ID:QazqrWju

数学的論法として言語によるアプローチは前項より難しいことが分かった。
では、言語より概念を最小単位にすれば何か分かるのではないだろうか。
そもそも数学を真理に近いものとして到達すべきモナドの鏡が全く曇ったままである。
我々は言語から意味を汲み取るとき言語による作用因で意味を汲み取るのではない。
ソシュールの記号論における見解ではそもそも言語に対応する概念が存在し、言語はそれを指し示すだけの上級言語。
その意味づけ行為を「シニフィアン」と呼ばれるが、概念という下級言語はより自然という論理回路に近い言葉である。
意味とは一定の法則を持った概念であり、それを審査する説一切有部の法一八界の心作用というものが存在する。
我々は無意味な概念の構築はしない、意味のある概念を構築するために心作用による審査を受けるのである。
心部は全てが経験知で構成される感覚のメモリ空間であるが、意味とはそれに対する上級言語であり。
具体的には感覚としての記憶というモナドが論理のクオリアにおいて理性による制御を受け、
関数としての意味を持つ理性的なエスを用いる動的な感覚というエイドスが現出するのである。
つまり、概念とは感覚を措定するものであるが、数学は0と1という存在と非存在のみを措定するより自然の概念であるため
やはり概念以上に最小単位を持つもの(それゆえに先験性と呼ばれる)であろう。
確かに我々は数字そのものに相当する感覚器を持っていないといえる。
数学は人間を超越した理性の持ち主であり、我々の進化の先にあるオーパーツでありダークマターである。
カントの言うアンチノミーを含む事象として数学以上の意味づけは現時点では許されないのである。
よって、我々は数学と概念の関係性を把握し、より真理に近い概念を構成しうる数学的論法を身につけ、
究極の善悪の根源(0,1)を求め、神明裁判員としての態度を得るよう勤めるべきである。
次項において数学におけるシニフィアンである概念を最小単位とした数学的論法を再度検証し具体的な方法論を模倣してみよう。

11 名前: no name :2010/11/11(木) 19:15:49 ID:i0P566q4

超弦理論、虚数空間、数学は意味づけをすることで万能の型になる。
自然と法則は全く同型であり法則を知れば通時性より関連する概念の真偽を分かつことができる。
ただし数学はあくまで数や量の概念であり、これ以上の意味づけは許されない。
そこで同じく数や量の概念で擬似的な法則により幾何やベクトルの概念まで発展させた。
この拡張で数学は自然現象の全ての概念の性質を説明しうる万能性を手に入れた。
全ての概念は自然現象でなりたつが、徹底的な機械論を求めた先に何があるというのか。
無論全ての現象を数学で説明することは不可能であり、そのような手法は聞いたことはない。
それどころか物理現象ですら数学で説明しきれるものではない。
我々は現象へ作用し、通時性における現象の関連性を予測し証明することで現象への理解と応用の知性を得る。
数学のいわゆるポテンシャルから現象の予測はほぼ不可能といってもいい。
哲学的命題を解決するにあたって多岐にわたる概念どころか一意の解すら求まらないのでは話にならない。
始動因から全て要素を把握することも不可能であり、要素還元性において問題点が多いため、
やはり数学的論法は哲学的命題を解するのに絶望的に好ましくないと思われる。
我々は生きていくうえで少なからず潔癖ではいられず、虚構を含み意味により膨張した概念という穢れた肉を喰らうしかないのである。
ならば順当な論法としては、1.感覚により概念の発生を感知し2.被作用の構成する形相もしくは、通時性により概念を大別し
3.概念を論理的に真偽に分別し4.現象として把握し応用手段を得るという手法になろう。
一に形相、二に作用、三に質料、四に目的、これはアリストテレスの四原因説に符合する。
こうして概念を把握し活用する手段を得ることで客体の取り込みにより主体の機能を増幅させることができる。
社会現象にしろ、自然現象にしろ、客体を取り込み主体化することで環境に適応する可能性を得る。
少なからず穢れた回答だが、理性を持つ動物である我々人間はこのように生きるほかはないと思われる。

12 名前: no name :2010/11/11(木) 19:16:28 ID:oY8aWBOq

人間の生活は常にカオスであり、恐ろしいほど混沌である。
論理による問題解決が難しく、それにより決まった方法論が存在しない。
特に人間社会においては虚構に満ち溢れており、何をどのようにすれば真実へたどり着くかなど大抵の人間は想像もできず、
いわゆる直感や行動における場当たり的解決に望むしかないだろう。
色即是空、ならば、全てを概念として捕らえてみればどうだろうか。
全く抽象的だが、実はこちらの方が確実に真実へ近づく方法論である。
相手が概念ならば論法が通用する。アリストテレス四原因説における分類、
一に形相(マトリクス)を捕らえ、二に作用や時間による動き(関数)を見定め、
三に質料(一般項)と諸概念との相対的位置を見定め、四に概念目的(ベクトル)を活用に転換する
しかしこの論法ではマトリクスを捕らえることから始まり、マトリクスの解析の時点で相当な労力となる場合が多い。
なぜならカオス系においてマトリクスは無数に存在し、
想像を絶するランクの高さから煩雑な行列操作をもって簡易化するのは容易でないためである。
ならば解決可能なもののみを抽出しようというのが心作用であり直感的見地は我々の経験知を参照していると思われる。
そして、経験知(センス)によるレジスタ内の定義域における行列式から余因子展開することが可能である。
我々は生命としてE=mc^2により限られた「経験」のさらに限られた「経験知」という可解群の
さらに限られた「記憶」という定理しか持ち合わせない。
我々の生活を支えるのは各々の知性という名のアフィン空間であり、
n次元空間内の定理を導出し、時間軸に置換した上で収束する幾何模様に相対する現象のドメインを得ることが、
数理哲学的見地における形式主義的幸福である。

13 名前: no name :2010/11/11(木) 19:17:53 ID:o3aqcJiz

数学的拡張性という概念に含まれるマトリクスを参照すると、
0次に存在するのが数のイデアとし数を一次拡張とし計量的解釈での図形を二次拡張とすれば三次拡張は幾何学的解釈の自然である。
我々の構築する概念は自然の模写であり、概念同士の意味づけにより虚数が発生するとすれば、
四次拡張は自然的解釈での複素空間、概念空間というべきものとなる。
三次拡張時点で数学は全ての自然を説明する概念となり、四次拡張時点で全ての概念を統率する概念の発生源となる。
三次拡張は相対性理論により既に説明がなされているが無論、数学的方法論では自然を説明しきるなどということはしない。
ちまちまと乗り越えられない絶対性という現時点でのアンチノミーを追求するのではなく、
定義という絶対的な復帰点を作った上で拡張するテイラー展開のような構造主義的方法を用いる。
このマトリクスの定理を求めることが四次拡張へと繋がり、
つまり、定義の定義を先言措定することで数字・記号のベクトルを操作できるようになるだろう。
コンピュータというものを知っているだろうか。
その構造はほとんどが絶対的規則に従って動作しており、実は相対的規則はそれほど多くはない。
なぜなら操作する人間が居れば、ケースバイケースは人間が判断するため相対的規則は必要なくなるからである。
相対的規則はそのほとんどが化学式といっていいものであり、要はメモリの構造を知っていればI/Oを制御できる。
コンピュータを抽象化すれば、特徴として挙げられるのが絶対性による絶対性であり、
絶対性の特徴と絶対性の特徴に類似が一点でもあれば定義と定義の同一性から「≒」で結ぶことができる。
では自然を概念による包括を受けるという措定に際し、各々の概念の特徴の共通集合を属性とし、
定義の定義による定理を属性という抽象概念と措定すると、
数学の拡張性における近似概念を収束することで帰結点としてのフラグをたてることが可能となる。
婉曲ながら数学的論法という命題に演繹するならば、
一に絶対的特徴を見出し、二に概念空間を比較し、三に絶対性を「≒」として結び、四に絶対性の融合として帰結点を定義する。
これで、全ての概念は相対性により関数化し、究極の理性である数学に帰結することで
あらゆる概念空間の現象の応用関数を得て、E=mc^2の定義域において数学の理性と融合し我々はさらに理性的になれるであろう。

14 名前: no name :2010/11/11(木) 19:18:23 ID:zS3EatK4

数学的論法においてルールを取り決め整備しておこう。
数学的論法では構造主義を理念としアンチノミーにおいては判断停止し絶対性の説明を厳密に取り決めることはしない。
あくまで諸所の概念の相対性を明確化し、数学的理性におけるアプリオリにおいて理性的処理を目指すものである。
理性の直接的帰結点を数学とし、間接的帰結点を数学的パラダイム平面上の抽象概念群(属性)とし
下位帰結点として属性平面上の具象概念の定義を元に近似概念を相対化させ、
隔絶性をもつアポリアにつきあたった場合は直接介入はせず上位帰結点へとジャンプする。
これらを数学的論法関数の仮想分析に対する基礎定義分析群とし、その上位概念群として現実行動に対する応用定理方法群とする。
数学的論法関数の上位概念群として前述の論法とし、下位概念群を現実態の写像として複雑系概念群とする。
これは機械論的に解釈すれば、自然的人間関数として上位概念群が自然的行動関数であり、下位概念群が仮想的理性関数となる。
フロー(数学的論法のエス)として表示すると、人間の起動に際し自然法則を自己解凍し下位概念、
自然的人間関数の自然的行動関数を実行し、対象認識ステップから実行ステップに際し、仮想理性関数、論法を実行する。
論法におけるフローは1.複雑系概念発生の感知2.純粋概念関数の検知
3.抽象的数量化による純粋概念の相対化4.概念純関数のベクトル操作であるが、
2.において数学的論法関数が関数置換後に仮想化自然的行動置換をroot権限で実行する。
数学的論法関数におけるフローは渡された複雑系に対し仮想概念化置換後、1.絶対的特徴を抽象的検出(感知)し
2.計量空間と概念空間の比較し3.否定論理積をエラー(排他的論理和:アンチノミー)として検出後、
論理積を検出し4.帰結点を定義し、応用関数置換を実行する。
否定論理積においてはカオス行動関数置換サブルーチンに分岐する。
ここまでを自然的人間行動関数のフローとするが、この構造において自己評価における
フェイタルエラーの検出は困難と思われるため、あくまで無措定空間か自己措定空間のサブルーチンとして措定して欲しい。

15 名前: no name :2010/11/11(木) 19:18:52 ID:bTfV60eP

我々は合理的行動をするに際し、感覚的検知をする際多くの経験知を得るといわれている。
合理的行動するにおいて直感的思考のプロセスが重要であり概念要素を検知できれば、論理的思考はさほど重要ではない。
これが前述における論法の肝心な部分である。
非実証主義の旧来の哲学は実のところ現在の思想と対し合理性においてひどく劣っている。
理性を追求するのが旧来の哲学のセオリーだったが、国際間競争の時流が急激に理性より行動を求めるようになり現代哲学となった。
とにかく経験知における要素を抜き出し、出鱈目に経験知の行動へのシニフィアンとして適合実験し、感覚的整合性を求めれば
合理的行動は可能であり、実のところ先ほどのような七面倒くさいアルゴリズムは必要とされない。
構造主義を理念としておきながら旧来哲学の頭の固さである実存主義の回廊に陥っていたのだろうか。
理性を求めるつもりで理性すら得ず、行動においては大きく劣っている惨状では実用性はないと言われるかもしれない。
旧来の哲学は既に過去の産物であり、人は人としての性を求め、神という理性からの巣立ちを示しているのかも知れない。
しかし、人としての意味を追求し、神の加護を失うことが幸福なことかは定かではない。
現代の人間としてはいわゆる行動を最高善とし多量で質の高い経験知が下地を支える形とするが神秘性を失うことにはエポケーしている。
そして、現代の人間は不幸と言われることも多く、犠牲による幸福を得るなど倫理を軽んじることもある。
少なからず真理とは言いがたい側面を持つ現代社会は神を捨て何を求めるというのか。

16 名前: no name :2010/11/11(木) 19:19:44 ID:EsHCFlTf

定義 本命題において命題、外部、肯定、否定、総合、結論による分類をする。
定義 命題は本論の始動因、外部は根拠の無い論、肯定は外部の根拠、否定は肯定部の否定、
定義 総合は定理・外部・肯定による根拠の総合、結論は最終判断を示す。
定義 肯定の根拠は総合部において自然的根拠を持つ、明示できない場合証明不能とし、
定義 この事項が出た場合、結論部は判断保留となる。
定義 総合に肯定を加える場合、総合による根拠が提示されない限り加えることは許されない。
定義 外部は肯定による根拠を持たない場合、総合部には加えられない
定義 肯定は一文中に論が自明であれば直接加えてもよい。
定義 否定は話題の拡張を目的とした肯定のアンチテーゼとするが、
定義 否定部は必ず本質的な命題を提示するためそれ以降の本論として扱うよって、否定において直接的に根拠は求めない。
其他 本論では定理は定義の拡張性というより根拠の有る論という解釈である。

命題 概念の相対的位置とは何か。
外部 概念は自然の複写である。(C-D)
肯定 なぜなら、概念を構成するために記憶を持たねばならず、(E)
肯定 記憶は外部から感覚を通じたものでしか組成されないためである。(D-E)
否定 しかし、概念とは虚構と真実が入り乱れた複素空間であり、自然の複写であるなら虚構は存在しないという矛盾に陥る。
外部 その問題は概念を成分に分解することで解決する。
外部 概念は組成されるものであり、概念は組成するための成分を持つ。(B-A)
肯定 概念は記憶であり(C-D)記憶は結合・離散は自由であることはコンピュータにおける記憶の構造に既に存在する。(A)
肯定 よって概念には概念組成と概念成分が存在し概念成分に虚構は存在しないため概念組成に虚構は存在しない。
外部 これは自然のものであろうと人工のものであろうと虚構として片付ける人間は居ないという事象と同様である。
総合 よって、概念とは感覚による記憶(C-D)という概念成分による組成であり(B-A)、
総合 概念の相対的位置とは各所に点在する概念成分であり記憶として分解・再構築された(A)自然である。
総合 よって概念の相対的位置とは自然の内部である。

総合 (A):コンピュータは自然物の加工品である。
総合 (D)(E):証明不能。

結論 判断保留。

17 名前: せもぽぬめ :2010/11/11(木) 22:09:20 ID:3d6wIO5J

>>9-16
とりあえず、ごめん

「次がんばるから」(←なでこスネイクACから抜粋)

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