>>521
他のサイトにはこうある
「ホラズムの虐殺は例外」(笑)らしいのでホラズム以外の地域だけ引用する
http://www.k2.dion.ne.jp/~yohane/0000ozomasii4.htm
>モンゴル軍は収穫に火をつけ町々を略奪した。
>大きな町々には宮殿や仏像などもあったが、彼らの反応は放火して打ち倒すことのみであった
(中国)
>バルフの町は初めから降伏し将軍ジュベに事前に恭順の意を伝えていたにもかかわらず、
>周りの町々への見せしめのため、全住民を城壁の外に集合させ、それから全員が虐殺された
(アッバース朝イラク)
>アフガニスタンのカリスミア帝国への攻撃中に、バミヤン渓谷でチンギスの孫が命を落とした。
>そこでチンギスは、その地の生き物を胎児から動物に至るまですべて殺すよう命じた
(アフガニスタン)
>四男のトルィがイラン東部のコーラサンのニサに侵略した際、
>住民全部を数珠つなぎにして城壁の外に出しモンゴルの兵士が取り囲み矢を射かけて惨殺した。
>メルプの町では全員の首を切らせて、それぞれ男、女、子供の生首の山とした
(カリスミア帝国)
>将軍ジュベは、コーカサスとロシアの地へ派遣され、カリスミア帝国の地ではないにもかかわらず、同じように侵略し住民を惨殺した。
>カスピ海の北の連合体から攻撃を受けたが、
>ジュベはこのうちの一つであるキプチャク族に大量の略奪品を与え同じ遊牧民族のきずなの言葉で巧みに買収して、他の2つの部族を滅ぼした。
>その後でジュベはキプチャク族に襲いかかって惨殺し与えたものをすべて奪い返した
(ロシア・アゼルバイジャン)
>ドニエプル川流域の現在のアレクサンドロフ近くで、約8000のロシア軍を撃破した。
>ロシアの皇子の一人は砦に逃げ込み、ジュベは彼が故郷へ帰るための安全な条件を提示して皇子一行が砦から出た所で虐殺した
(ロシア)