「戦史叢書」が信用できないなら、実際に幕府山にいた人々の証言・日記など
※斉藤次郎(12/18の日記)
>十二中隊の戦友が流弾に腹部を貫通され死に近い断末魔のうめき声が身を切る様に聞い悲哀の情がみなぎる、・・・・
※伊藤喜八郎(12/18の日記)
>大隊本部に行った、そして午后銃殺場所見学した、実にひどいざん場でした。
>我軍に戦死十名、負傷者を出した。・・・・
※中野正男(12/17の日記)
>警備。
>小隊員中××××、××××ノ両名歩哨服ム中、敵敗残兵ノタメ手榴弾ヲナゲツケラレ負傷ス。
※宮本省吾(12/17の日記)
>最後の取るべき手段として捕虜を解放することとし、揚子江岸に連行したところ、暴動が生じたのでこれを射殺した
>中隊死者一傷者二に達す。
※平林貞治(連隊砲中隊小隊長)
>結局、仲間が6人も死んでしまっているんですよ。
>あれは偶発であり、最初から計画的に皆殺しにする気なら、銃座をつくっておき、兵も小銃をかまえて配置し、
>あ の よ う に 仲 間 が 死 ぬ ヘ マ は し ま せ ん