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>>393 1931年当時と今とでは国際環境が全然違うだろアホ
アンタと俺と比べたら、1931年当時の国際情勢をどちらが知ってるだろうね。
あなたの話はどこかの偏向した書物の、引き写しが多い気がする。
なんか具体的な説得力が感じれない。
1920年に国際連盟が作られ、国際間の紛争はここで話し合いが行われる
ことになり世界で50カ国ほどが加入してました。
1921年には日中間で結んでた日中軍事協定を破棄。
1928年には張作霖爆殺。
話し合いじゃなく武力で紛争を解決しようとすると、多数の国から非難され
るという国際連盟が出来たのだが、この仕組みを一番最初に壊してしまった
のが満州を植民地にしようとした日本だった。満州事変(1931年)
満州鉄道という利権を持った日本が、鉄道だけじゃなく満州全土を支配し
ようとしたわけだ。この年に3月事件や10月事件というクーデター未遂事件あった
1932年の5・15事件で総理でさえ、軍部に暗殺され日本の言論の自由もなくなり
自由のある諸外国には非難されるのが嫌で1933年国際連盟を脱退し満州占領。
1936年には2・26事件で大蔵大臣などが暗殺され、天皇が鎮圧を指揮。
1937年には盧溝橋事件から南京虐殺と続いて1945年には敗戦。
中国に狙いを定めた張作霖爆殺から、数えるとタッタ17年間の間に軍部の暴走
により、日本と言う国家が言論の自由もなくなり坂道を転がり落ちたと言うべき。
国際連盟を大切にして武力を使わず、国際間の話し合いをまじめに行い、連盟
を育てる推進力に日本がなってたら世界も変ってたろうに!!!