>>230 「己の欲せざること、人に施すことなかれ」という論語の言葉くらい分かってくれよ
「右の頬をぶられたら、左の頬を出せ。服を欲しがるものには下着も与えなさい」
というキリストの言葉くらい分かってやれよ。
まあアンタにはこの言葉の本当の意味は、金輪際分からんだろうね!
>>233 最新鋭の戦艦二隻がわずか開戦1日にして日本軍に負けたんだぜ
飛行機の時代になってたのが、この時点で証明されたわけだけど戦艦大和や
武蔵を何で作ってしまったんだろうね。最後には片道分の燃料で特攻にまで
使ってしまうとは・・・・
>>234 そもそも「侵略の定義」は未だに定められていない
国語辞書さえ読めないバカタレ!
>>235 引用するのが「反米嫌日戦線」だと!
読んでみたんだね、面白かっただろう。
名前はオドロオドロしいけど、中身は日本への愛情、誠意が溢れんばかりだろう。
昔の日本は滅ぼした敵に対して[祟り]が怖かったとしても、ご先祖の神社よりも
高い神社を作り神様として祭ってたんだぜ。
これこそ日本伝統の本物の和の精神だろう。
それを靖国神社みたいに、日本という国家を国家存亡の危機まで追い込んだ
負ける戦いに引っ張った戦犯まで神様にして祭るとは、言語道断!
元軍人のド素人宮司に、昭和天皇の意向を無視して祭らせては神社失格だ。
ーーーー引用開始ーーーー
「陛下は合祀を聞くと即座に『今後は参拝しない』との意向を示された」
「陛下がお怒りになったため参拝が無くなった。合祀を決断した人は大ばか者」
なかでも徳川義寛元侍従長の証言は詳細で具体的だった。
14名のA級戦犯を含む合祀者名簿を持参した神社側に対して、宮内庁は、
軍人でもなく、刑死や獄死でもなく病死だった松岡洋右元外相が含まれてい
ることを例にとって疑問を呈した。だが、合祀に踏み切った。
87年の8月15日。天皇は靖国神社についてこんな歌を詠んだ。
この年の この日にもまた 靖国の みやしろのことに うれひはふかし
(asahi.com 2006年07月21日 より)