>>266 竹島が日本固有の領土だったかは資料を調べれば解ること。
判るというのはあなたの主観で「竹島が日本固有の領土だった」と判断した
だけであり決して、客観的に「竹島が日本固有の領土だった」と結論が出た
わけじゃない。
俺もいろんなHPを見てきたが、日本領土説というのは海産物を取った記録
があるとか、鬱陵島に行くときに目印と風待ち寄港地として利用したというだけで
主観的使用例に過ぎない。
その点、竹島を日本領土にした時期が日露戦争の真っ最中というのは
客観的事実だ。
明治10年の「鬱陵島他一島は日本領土ではない」という太政官布告
(内閣の布告)という公文書は、客観的な判断材料になる。
あなたは客観的事実と主観的考えを混同してるよ。
思想の裏づけは、客観的事実から出発しなさい!
ーーーー引用開始ーーーー
「日本海内竹島外一島地籍編纂方伺」を提出して、その判断をあ
おいだ。附属書類中で「外一島」とは松島であると明記され、その位置と形状
も正しく記述されていた。
太政官調査局の審査では内務省の見解が認められ、次のような文章が起草
された。
<この文章は(注2)に移します>
この指令按は、右大臣岩倉具視、参議大隈重信、寺島宗則、大木喬任によ
って承認された。
http://www.han.org/a/half-moon/hm077.html