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ステマというよりも、まわりに使用者をみかけないから寂しい現状だったのでスレ立て。
そりゃあ、フリーソフトのニコンエンコやつんでれんこのほうが使いやすいし無料だし。。
すぐにアップロード投稿できるのが利点であるが、
エラーで投稿できないことも珍しくない。
「Missing: key is missing.」の謎に迫りたい
製品情報
PowerDirector 10
http://jp.cyberlink.com/products/powerdirector/
あ
格好いい響きの分析と格好悪い響きの分析の違いとはなにか
「理屈っぽさ」を感じさせるのは後者なのだろう
空気が読めないやセンスが悪いは馬鹿の一種なのか
リベラル的で、そこそこ創造性があり余暇は趣味的に過ごすという
先進国としての平均的日本人のイメージをもっと普及させるべき
(」・ω・)」右ー!(/・ω・)/ウェー
これどうよww
頭が硬いし悪いし排他的で察しが悪い
そんなもの同士のコミュニティ
オタクの生体調査経過報告2
共通語を作って排除行動
コミュニケーションの範囲を狭めて同質化(同類化)できないと思ったらすぐに文化圏外に置く
スレッドごとのテーマにそって作り出された共通語という
規約を踏まなければならない正規手順以外は認められない
つまり同質化しなければ排除だ
ネットですら同類を探し回る一般人にしてみれば考えられない行動
マニアは群れず現実と折り合いをつける常識があり、
オタクは現実を犠牲にして群れる非常識な連中
そしてこいつらの罪は善人面してあたかも大衆合議のもとのように錯覚させること
現実では日本語とは思えないほどのニコニコ用語の嵐
確実に現実(あってないような価値)を犠牲にしている
ニコニコというコミュニティがネット界隈において力を持ち始めたのは
迫害を受けてきた弱者(マイノリティ)の生存本能が
ネットというフィールドでたまたま有利に働いたからである。
オタクは虎視眈々とマイノリティとマジョリティの総取り替えを狙っている
本当のマジョリティは群れず自由化した多種多様な趣味嗜好のなかに
空気を強要せず自然とグループ化する
頭がいいという言葉は多義的だ
だから使いまわすのに利便性がある
少なくとも論理的思考という言葉以上にマイノリティに回る可能性が少ない
解釈次第でいくらでも勢力が広がる余地がある
逆に頭が悪いという言葉を使えば、他人を存在否定まで追いやることができる
どんな言葉を使うにせよマイノリティの言葉を有してはならない
しかしマジョリティを自称すれば欺瞞の空気が漂う
自称頭がいいは実質ここまで頭の悪さを表現する言葉が他にないように
普通人が主張するときはマイノリティな理由を付け加えていくことでマジョリティである意識を他人の意識に植え付ける
本当に存在否定された人間は自殺する
頭が悪い人の言うことは聞く必要がない
ちょっと言ってることがよく分からないんで下げますね
減点方式の人は基本的に自分に欠点がないと思っている
だから他人を誉めるより貶すことの方が多い
頻出ワードは加点方式の人と比べこれといったものがない
あえて言えば他人を貶すための常套句くらい
哲学は実感の伴わない”お勉強”の最もたるもの、ブランド化しやすい学問の一つ
だから最近は必要なとき以外は用語を使わないようにしている
そもそも本当に必要とされることはほとんどないのだから、その言葉もあまり使われない
そうすれば生活を語っている中にこつ然と本当の”哲学”がある
即物的な農耕民族の日本には普段は穀潰しの賢者たるDNAはすでに淘汰してしまっただろう
それどころか古代ギリシャ人のような人間はこの資本主義の世のどこにも居まい・・・
群れてモラルがなくなる人間は
もともと悪意しかない個人にすら劣る
平気で異質排除して"みんなで"家の柱を食い潰す白蟻
ぎゃははははははははははせっかく説明してやってるのに
何が起こっているかすら分からないって頭悪すぎぃ〜★
Zeroから前のバージョンにはどうやってもどしたらいいんでしょうか?
元々論理的思考力と区別して感性的要素を加え思考力と銘打ったのに
ブランド化し、私自身を指す言葉になった。本当に残念だ
ブランド志向はイデアに対する冒涜、学問に対する姿勢そのものが間違っている者にアカデミズムを名乗る資格はない
これからは分かりやすいように『生活的思考力』という名にでも改名しよう
なぜイデアを信仰しないのか
日本で起こるあらゆる紛争はイデアへの不信によるものがほとんど
日本人はまたチェルノブイリのような惨禍を繰り返すのか?
小器用な人間ならシニカルなギャグで墮犬を追い払っていたんだろうな…
哲学の言葉自体が哲学的に矛盾している時点で哲学的にと言うからには何言っても無駄だよね
あとこれまでの哲学(のつもり?)なレスは中島義道が既に世に広めた事柄だよね
というか見るからにどこからかの本からの引用だよね
場違いだよね
だから下げますね
頭のよさ
構造主義者>ポスト構造主義者>実存主義者>プラトン主義者>カント主義者>現象学者>アリストテレス主義者
ってイメージ
比べられるものじゃなかろうに
サルトルは強者を目指して弱者に仕立てられた
形而上と形而下を”切断”して考えられなかった罪で
馬鹿と同じ目線にたてるのが政治家の資質
目をつけられるのは影響力皆無の馬鹿ばっかりだが票にはなる
票とは水蒸気だ。その一粒一粒によって雲になり政治者はその上から地上界を覗き込み人々を導く
タイトルを考えられる人は政治者の資質があると思う
世の中どれだけやまなしおちなし意味深長のタイトルにあふれているか
今日は東浩紀のネーミングに惹かれた
マイページだけ原宿にできませんか
やはり次の前衛性は選択肢を増やす意味でプラトニズムじゃないかと思う
メインカルチャーを放棄し、娯楽文化を発展させてきた日本でも宗教性の芽生えがあったほうがいい
それとも宗教性という品位を娯楽が迎合(食して)、新しい娯楽になるのもある意味日本の本質的な在り方かと
社会学者はフィールドワーク的と言えるかもしれない
社会現象という空気のようなもの、勝手に解釈すれば
雲を掴むように解釈を許し、いつの間にか手から真実がなくなってしまう
だからあらゆる理論や手法を道具に学者という"人"が投入される
帰納主義的かつ経験主義的な学問はそれほど多くはなく他には心理学、地理学、考古学くらい
詳しくは知らないが哲学にも日常哲学派とよばれる学派があるようだ
分類
個性尊重すればこんどはコミュニケーション能力という言葉を作って反発的創造
日本人は馬鹿だから本質を見極めなければ悪い二項対立から抜け出せなくなっている
日本人は馬鹿というのは違うか、万国共通で大衆は馬鹿で数も多い
大衆は手や足、その上層は顔や口、最上は頭脳
ただ何らかの原因で大衆という動力部に繋がっていない
そこが見えていなければ単に馬鹿にするだけに終始してしまう・・・
文化相対主義とはいうがまさに今こそ線引きが必要なのだ
より日本らしさを求めることが本当に日本にとって良いことなのか
むしろ日本らしさと国際的価値観を併せ持つ、日本らしさを残しつつも、国際的「協調」が必要だ
「ガラパゴス化」を無限遠にまで遠ざけるそれでは癇癪を起こした子供のような態度ではないだろうか
過去の反省から、虚から発生する創造の活力でもって今までの全てを否定し全エネルギーを同じところに注ぎ込む
それでは明治維新の時の反省の仕方と同じだ。改革を一時的な「痛み」として忌避し
精神を一時的に他のところへ追いやってやり過ごす。それではあまりにも幼稚すぎる
心が何も学んでいない。ただ新しくプログラムを打ち込んでバージョンアップしただけだ
根幹に付随した枝葉のマイナーチェンジを「改革」という言葉にあてるべきであってそれは「悩み」として解決する。
現代の日本は今までやってきた全ての行為、言動、思想を全否定し新しく生まれ変わる新生児になるべきなのではなく。
社会的繋がりを見失わないようにしつつ新たな方向を見出しつつ大人としての冷静な判断と品格、そして責任を持つべきだ。
インテリは結束すべき
日本は価値観は人それぞれといった相対主義やコミュ力といったキーワードを基に右傾化の風潮を受けて
理念なきヒューマニズムに陥って統制がない
日本人は日本人はといってやることなすこと否定してきた結果
虫のように理念無く動く本能だけが残ってしまったのかもしれない
日本人に理性が通用しなくなってきている
大衆の動因となるものは何か
大衆心理に通じるものが靄のような確立論のなかで大幅に有利に進めることができる
そのため分類主義の極限的な論理的メソッドを確定しなければ
インテリじゃないと何度も言ってるじゃない?
なんで無理矢理そう思い込みたがるかなぁ・・・
底辺はなんでもトレードオフだと思いたがる
そうやって精神を安定させてきたんだな
そんなレッテル貼りしても何か一つ新しいことをやってみれば絶望するだけなのに・・・
分類主義とは構造そのものの否定、裏の構造といってもいい
すなわち非現象学的、不可能世界へ干渉するための概念である。
隠された構造のさらにその奥に科学主義を超えた思想を想定する。
実体も、形状・質感すらない故に脳内で直観できない概念的ロゴス的、形而上の構造をさらに超越した構造であり、
それは「在る」という確信すら与えず、「在ると思われる」という予想のなかでしか存在しない。
まったく偉い目にあった
最新の話題に首を突っ込めば
人格攻撃的なレッテルのあらしだ
流行のエネルギーは凄まじく誰一人冷静な人間がいない
俺は一つの解釈を与えただけなのに今の立場を守りたい
単なる感情論に過ぎない決めつけや論点先取りの下衆な勘繰りといった保守派の攻撃が一斉にこちらを向く
最後には品性の欠片もない言葉にもならない連呼で議論する人間の体力を削る
なにかしら欠如した人間のコンプの発露の場
だからコンプワードに過剰反応していちいちレッテルをはってくるハエどもが鬱陶しすぎる
哲学者ってどこか分類主義から抜けきれてないな
はっきりいって社会の考察に向いてない
社会⇒思想じゃなくて思想⇒社会というアプローチなんだろうな
所詮本の虫になる集中力くらいしか取り柄がない
と思ったが気のせいか
第二分類主義なんだな
人格者、品格者。それだけじゃなんでダメなんだろうと思ったそれだけ。
品性のない韓国人みたいな奴はまっさきに社会的地位を低位置に置かれて議論の場から追い出される。
煽られて本性を現す奴とか”論外”だね。
社会的地位を低位置に置かれ、議論の場から追い出される。
さながら名札をつけられた犬のよう。
精神や思想という第二の実体を持つ人間にとって
比ゆ的に関係付けられるのは眼に見える肉片の中身を表す第二の名称。
本当の名前の代わりにそう呼ばれて精神の置き場という名の共有ロッカーすらなくなって
...居なくなりたいんだろう?
なにも思い付かない日もある
世界の右上には何がある・・・
べつに科学主義でもいいが、人々がそれを受け入れるには幼すぎた
理性に対して反発的創造(反義的メッセージの発信)するのはその証左だろう
日本人は科学主義の思想の上にヒューマニズムが成り立つことを知らず
ヒューマニズムを尊重するあまり土台となる科学主義を消去しようとした
その二つは確かに反発しながらも同居している父性と母性のような関係であり
その関係を無視して一つを要素として抽出し両者を独立させれば、たちまち近代以前にまで思想が立ち戻ってしまう
それが今の政治不信、景気後退、そしてヒューマニズムを掲げていたはずの大衆の無気力感に繋がっている
時代は遡り、マルクスの言う、未成熟な、悪い共産主義に陥ってしまうだろう。
人々が科学主義に敵意の感情を持つ限り、景気後退の予定調和は免れ得ない。
経済予測終了
今の景気後退の原因は長期的スパンの直接的因果の臭いを微かにすらのこさないものだ。
故に社会・政治・経済的観点ではなく思想的観点で人々を導いていかなくてはならない。
そして啓蒙思想的には大衆各々が賢くなるよりも、一部のインテリが導くのが良いとされる。
癖が残ったまま補強論を打ってしまった
沈黙するしかない
分類主義から完全に抜けきるのは不可能に近い
完全な分類主義からの脱却は完全な沈黙の中にしかない
論客のあるべき態度とは「悟り」とまでいかなくとも正しい知に至るまでできるだけ沈黙するが良いのかもしれない
理想的な社会のあり方とは何か
間違ったことは出来るだけ言わないようにするならば
少なくともアメリカの真似をすることは良い
てst
ほとんどの論理は自分が無意識で正しいと思っている無根拠な前提から始まる
これが私的な見解の偏りバイアスというものだ
逆に前提の無根拠を認め、正しい中にも絶対に正しいと思う前提のみを
取り上げる。
すると無根拠に正しいと暗黙のうちにある個人的主義を
自覚的に抽出し印象論をあえて形式化することで初期バイアスを排除した議論が可能になる
これを直観的論法とする
景気は消費税と関係がある
欧米は先進国である
景気は消費と関係がある
分類主義は非科学的だが、必ずしも非科学的が「悪い」というわけではない
景気は需給と関係がある
心理学の入り口はオペランド条付け
論理は主格ありき
先進国とは経済面が着目されている場合が多い
日本は景気後退した
景気はミクロ的かマクロ的な変動がある
日本の景気後退はマクロ的な要因
思い込むことができないのは痛みでオペラント条件付けされるから
心理は行動に反映される
行動は心理を表す
思い込むことができないのは痛みでオ ペラント条件付けされるから
ヒトには基本的な欲求と付随的な欲求がある
論と法とは天に向かう植物の様である
論理的論法とは倒れるゆく棒に接木をするようなもの
どんな強固な基盤でも一本の樹を無制限に伸ばしていけばあらゆる気候条件の上でいつかは折れる。自信なき論理
直観的論法とは樹ではなく木を柱として支え床を重ねる重層的構造のビル。自信ある論理
欲求と行動は関係がある
政治と景気は関係がある
本当に冷静な人間には理法なんて必要ない
政権と景気は関係がある
景気循環論は保留
才能と努力は原因、天才は結果
人格と能力は原因、品格は結果
意味を求めるべきは原因ではなく結果
東洋人は原因を否定し本質が違うものを無理やり正そうとする
その結果が下劣な人格攻撃やブランド志向を良しとする風潮
日本人は牙を隠すのが上手いだけで本質は同じ
主義主張が多いほど因果が増える
特に馬鹿の因果が
行動は欲求の型 (仮説)
民族間には形質の違いがある場合が多い
仮説は証明しなければ意味がない
行動は心理と理性を表す
行動は欲求、主義、習慣、学習、経験と状況によって決定される
と思われる、とする
理論を作るには、蓋然性や構図の美しさにより形式化し分類する
事実から論理的に推論する、仮説を作り実証、証明、適合する
の3つの方法があると思われる
それぞれを分類主義、科学主義、合理主義とする
直観的論法は分類主義と科学主義を合わせたスタイルを基本とし
必要に応じて合理主義にもなると思われる
と思われる(仮説)、とする(定義)、となる(証明)、とする
民族間は地理的要因によって境界がある場合が多い
とすると(定理)、とする
人が合理的な行動をする生物なら、心理は関係が無い
日本人は娯楽文化を発展させた
日本には技術力があった
日本は島国だ
日本人は宗教を持たない人が多い
地形とニッチは関係がある
日本は海山森などの地形や季節など自然的である
海外の景気は影響する
生活水準は常に一定の需要を生み出す
海外の景気は輸出入を通じて関係する
科学は商品のコストと関係する