韓国哨戒艦「天安」と原子力潜水艦の沈没を解析X


告知欄


■韓国哨戒艦「天安」と原子力潜水艦の沈没を解析X

現在表示しているスレッドのdatの大きさは512KBです。

148 名前: no name :2010/10/02(土) 16:49:48 ID:fnB2oDZz

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8A%E6%9D%89%E6%B2%BB%E6%86%B2

上杉鷹山の改革は前期(藩主時代)と後期(35歳で隠居後)に分けられます
前期は米沢15万石の収入を30万石以上の収入にする為の改革、
隠居後の後期は米沢15万石の格式を捨てて半額の75000石の支出で生活しようとした改革です

前期改革の成果は一朝一夕には上がらず、なかなか収入が増えないまま責任者の竹俣当綱が汚職した為頓挫しました

そして後期の改革の結果、上杉鷹山の死の翌年、積もりに積もった借金の山は見事に完済され、幕府から誉められた上に褒美3万石を与えられています

その改革は決して順風満帆ではなく、老臣が反発して上杉鷹山を脅迫したりしたのは有名です

しかしここで指摘したいのは、志賀祐親です

上杉鷹山は35歳の男盛りで隠居します
竹俣を抜擢した自分の不明の責任を取ったとも、
前の藩主重定の実の子供(上杉鷹山が養子に来た後に生まれた)治広に、重定が生きている間に譲位したかったからとも
水戸光國を見習ったとも言われています

そして上杉治広が後を継いだのですが、その治広が抜擢した改革の責任者が志賀祐親です
未だに上杉鷹山の改革を挟んでも莫大な借金が残る米沢藩に改革責任者として現れた志賀祐親の政策は、
まさに今の日本の小泉改革や菅の経済政策などの馬鹿馬鹿しい経済政策にそっくりです

即ち、民には増税、歳出は削減。
ただひたすら「質素倹約」だとばかりに、志賀祐親は上杉鷹山の設立した未来を担う子供を育てる学校すら補助金を打ち切りました

上杉鷹山と竹俣当綱が収入倍増計画の為に設立した疲弊した米沢藩に合う農作物を研究していた、
今で言えば農地試験場や水産試験場ですら補助金を打ち切りました。

まさに、将来の為には必要な物すら「質素倹約」の名の下にバッサバッサと切り捨てていった結果、米沢藩の財政はたちまち悪化。
治広は隠居した上杉鷹山に泣きついて、上杉鷹山後期の改革に取り組む羽目になりました。

名前
メール
コメント
新着レスの表示 掲示板に戻る 全部 前100 次100 最新50