>>146 東冶は会稽よりもっと南の「福建省」にあるんだがw
これは福建省にも東冶があったという意味。
魏志倭人伝でいう東冶は、会稽郡にあった東冶なの。
伝説の王朝といわれる夏王朝の時代から、王子が統治した場所が
揚子江の河口地帯:会稽郡であるが、東冶は会稽郡の地方都市なの。
会稽郡は昔は大きかったんだよ。
>>147 中国の里は概ね500メートル=0.5キロぐらいで推移している
概ねなんて無関係。
ここで一番大切なのは、魏志倭人伝の1里が何キロかということ。
他の書物は関係ありません。
>> 千里を走る名馬は、わずか80キロの話かよw
千里を走る名馬は、魏志倭人伝でいう1里とは違うでしょう。
同じ書物の距離を考えないと…・
>> わざわざ帯方郡から物差しや巻き尺を持参して計りながら
天文観測道具を持参して、現在地を測定しながら邪馬台国に行ったの。
だからこそ邪馬台国の位置を、帯方郡から12000里という数値
がを出すことが出来たの。
その為、天気のいい日には現在地が測定できたが悪い日には測定
不能でかかった日数でしか書けなかったもの。
魏志倭人伝にはその為に、いろんな表現をしてあるだろう。
だいたい広大な中国で巻尺なんかで、測定できるとでも思ってる
のかな。少なくとも天文観測技術なしには遠距離の旅は不可能。
>> 韓国にすら行ってない陳寿
でも陳寿は、魏時代の使節団の公文書が見れる立場なんだよ。
邪馬台国に訪問し魏に帰ってきた役人の、生の公文書で測定した
天文観測値まで全部を見ることが出来るの。これは強い!