>>455
馬鹿も休み休み言おうか
全てを捏造するバカ恵也
閔妃を抹殺して得意絶頂だった大院君は、総理大臣金弘集に命じて閔派の閣僚を粛清した
組閣を終った金総理は、閔妃のために速かに国喪を発するよう大院君に言上したが、
しかし大院君は「王妃は廃して庶人にするつもりだから、国葬は行なわない」と言明した
庶人にするとは平民にするというわけで、王妃から一挙に平民に格下げしたのだ
それに加えて閔妃の罪悪を挙げつらう詔書を国王に出させた
そんな大院君に対し日本は井上馨を特命全権公使としてソウルに派遣してこのように大院君に向かって言わせたのだ
「死ねば皆仏になる。過去を水に流して王妃の菩提を弔って、民心の安定をはかるよう」
しかし大院君は日本の忠告を無視
結局閔妃を復位させ、「明成皇后」の諡号を贈り、国葬を行なったのは、
大韓帝国が誕生し、大院君を日本が説得した後の明治三十年十一月のことだった