>>15 大体、全ての証拠を隠滅できると考えるなんて
隠滅できなかったから、中島今朝吾日記が出てきたんだよ。
しかしたくさん隠滅したからこそ、この程度の戦犯数ですんだと言うべき。
軍中央から証拠隠滅の命令が出てます。
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資料によると、処分の指示は45年8月15日午前0時に始まった。
「ご真影や連隊旗、天皇の手によって書かれた書類を集め、部隊指揮官は崇拝
の念をもって焼却せよ」と、陸軍省が主な野戦司令部に命令した。玉音放送が敗
戦を告げた同日午後には、「陸軍の機密文書と重要書類は、保持している者が焼
却せよ」と命令を追加。
(『朝日新聞』2002年7月18日(木) より)
>> 戦犯裁判なんてのは日本史上初めての出来事
間違い!
戦犯とは戦争犯罪人のことで、明治時代の佐賀の乱を起こした元勲
江藤新平もさらし首の刑にされてます。
日清戦争で清側に付いてたミンビは朝鮮王妃だったのに、日本軍に殺
されてるし、戦争に負けたら戦争犯罪人が、処罰されるのは当たり前の
戦争の常識だろう。
アンタは歴史さえ知らないのに「日本史上初めての出来事」なんて
よく言えるね。史上初めてなんて俺には決して言えない言葉だ。
俺だって歴史の隅から隅まで知ってるわけじゃないからな。
ーーーー引用開始ーーーー
江藤新平の政敵としていた大久保利通は、政府から全権(行政権・軍事
権・司法権)を委任されて江藤の裁断の場に自ら赴き、「除族の上、斬首
晒し首」と判決を下す。士族の身分を剥奪したうえで斬首し、首を晒すのである。
1874年4月13日,江藤新平胤雄(たねお)は41歳で判決同日に処刑された。
これは江藤が作った法律(新典)にはない旧法による判決で,特別に過酷な
処置である。
http://www.geocities.jp/torikai007/japanchina/nanking.html
>> なんで「銃殺してはいかん」の?
あなたにはまともに日本語さえ判ってない。
これは現代語では「銃殺してはどうだろうか?」と死刑の手段を例示した意味。
決して禁止の意味で使った言葉じゃありません。
南京港も手に入れたので、部隊よっては十分な弾薬は持ってます。
また食料はともかく、弾薬だけは最優先で輸送隊が補給してる。