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ここはBitTorrent の初心者スレです。
使いはじめたい方、使いはじめたが使い方が分からない方、
その他疑問、質問、BitTorrent 関連ならなんでもOK。
中級者スレではじかれた人、ここならどんな事でもOKでつよ。
<<初心者の皆様へ>>
BitTorrentのDown/Up速度はPC環境から接続状態までさまざまな要因で
大きく変化します。ですから、漠然と「速度が遅い」と質問しても答えは
誰にも教えてもらえない事をあらかじめ理解しましょう。
もしどうしても速くしたいのであれば原理等を勉強して自分の環境にあった
解決方法を探ると良いでしょう。(その為の質問なら回答がもらえますよ^^)
具体的なレスが欲しいなら、回線の実測、何人と繋がってるか、繋がってる相手の速度
ファイルサイズ、いつから何を落としているか、などなど多数の情報が必要。
[DL速度を上げる方法]
光回線にする
ルーターを変える
ポートを開ける
タスクごとの最大接続数を増やす
旬のファイルをこまめに落とす
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あらゆる知識に触れられる図書室を利用しよう
川のイデアの例を出したが、川の色と形の情報核が描く絵画は
幼少の子供が描いたような粗雑な絵画となる
川の色も太陽の光の光量によって微妙な違いがあり、形もフラクタル次元でいう諸所の要因から形成された複雑系といえる
プラトンのイデア論は現代の分析哲学者がこうした複雑性を見抜き難点を指摘しているものであった。
論理的な難点を指摘されたからといって人間の思想は消滅しない
人間の思想は必ずしも論理によって制圧されるものではない
それ故、プラトンの作中『ティマイオス』に登場するアトランティスなどプラトンの思想は
現代のマス・メディアなどに取り上げられ一般的であり価値あるものである。
人間の行動原理である思想は真実のみで構成されているわけではない
古代人の思想や古代文明に触れることは有意義なことである。
文章の第一の性質として硬質・軟質がある。
解釈学的にこういった性質を明確化し正しく文章を通じて思想を受け取っていく手法を確立しなくてはならない。
思想という大宇宙を正しく導くため精神のポリフォニック(多様な旋律)たる文章こそが唯一の表現手法である。
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しばられずに毛糸のカービィをへた
れプレイ という動画はどこですか?
184解除とタグのやり方がわかりませn
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人は人間の顔を覚えるとき何か他のものに見立てるという
それは物質の形状に内在するイデアから再描写(想起)をしていると考えられる
あらゆるものの印象はこのような原理によって得られているのではないだろうか
それは美学的議論のみではなく、問題解決における発想=イデアに基づく想起という構造も同じような印象を持つ
形相世界が分かれば社会現象や経済原理まで分かるかもしれない。古代人の感性から現代の本質を探る試みである
「○川」という名前の人間には川のような印象を持たないだろうか
川のイデアといってもそこには人の顔のイデアもあり、イデアとは我々が思っている以上に本質的な意味なのかもしれない
川のイデアにおける複雑性とは宇宙全体を描写しうるイデアが全て存在するという逆視点の見方もあるといえる
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現代社会とは何かと悦に浸ってないだろうか
現代科学だの現代経済学だの、科学や学問の限界悟ったような風貌で「eco」だの
中世の貴族だの戦争だの植民地だの、しがらみから蓄えられた力が解放された人文革命の際に生じた
厳密な意味の科学とは高々数百年の歴史しか持っていない近代の一足飛びに進歩しただけで
人類史は実質的に200〜300年分の進歩しかしていない
マスコミが彼らの都合のいいように印象操作があったにせよ悟るには早過ぎるだろう
古代史など遠い昔の話ではない。
むしろ古代や近代からみると中世並みに現代が進歩しなさすぎのように思える
「常識にとらわれない」などというマスコミ用語や宣伝のような文句あるがその言葉は気に食わない
まるで現代が人類の限界となっているかのような印象を与える。
学問の美しさをまるで知らない凡人の彼らが悟ったような口で語る。
ソフィストのようないい加減さが大衆に影響を与えていると思うと怒りを覚えるこの頃である
現代とはマスコミによる「思想の植民地化」が「進歩の妨害」をする時代ではないだろうか・・・
「哲学が非常識集団」の如く批判的にいわれる現代とは大衆に学問をさせない「印象操作」の結果なのではないか
学問を知らないものが進歩的になれるはずが無いというのに
学問も知らず「常識にとらわれない」であろうとする人間は印象を操られた凡人である
「哲学」とは「全ての学問の基礎」であり、それは「どの学問にせよ」「本物」であるならば「非常識」が「自然」に見えるものだ
むしろ哲学的でない学問は不要であって、哲学を避けようとする義務教育の「非学問」は「ソフィストの教育」そのものである。
本質も知ろうともしない人間に読書を勧めて無関心となるだろう。
それはマスコミの印象操作における「常識」という「有害思想」が浸透した「洗脳された凡人」である。
物質的植民地化の中世西洋と精神的植民地化の現代、そして全ての宗教思想を馬鹿にする風潮も「洗脳された大衆」である。
洗脳されないよう「学問」や「読書」をしなければ「マスコミ的向上心を持った凡人」と成り果てるだろう
私の語彙が少ないのもかつて「マスコミ的向上心を持った若者」であったせいかもしれない
「語彙が少ない人間は学問の美しさを知らない凡人である」
哲学を知ったのも実はつい昨年の話である。
マスコミの言う「常識」は隣国の話ですら非常識とする「きわめて閉鎖的かつ非進歩的な思想」であり、
我々は常識の基準を宗教思想までずらさなくてはならない。宗教思想は開放的思想であって非常識ではない。
大乗仏教すら非常識とする現代日本人はきわめて閉鎖的である。
現代日本人の常識とする科学のほうがよほど哲学的であり非常識である。
非学問人にこの価値観が分かるだろうか
進歩的であったはずの「古代人や近代人としての常識」をマスコミから取り戻すべきである
この文章の意味が分からないほど思想的硬直が進んでいるならば読者は「重度に」洗脳されているだろう。
「マスコミ的向上心」の恐ろしさは「経験主義」への「回帰」である
何が回帰かといえば人間が「動物的思想」への回帰である。
いわゆる「直感」という突発的なものが天才と凡才を隔てる壁のようなものを固定観念化する思想である。
これはマスコミに植えつけられた「非常識的思想」である。
天才と名高いアインシュタインやニュートンなどもいわゆる「天才的直感」があったわけではない
それぞれの役割がありそれを全うした結果に生じた産物である
「天才」という言葉は「非生産的な人間」ほど好む傾向があるといえるだろう
安易に天才という言葉を使うべきではない
これは「マスコミ用語」である
現代の子供はまるで読書をしないマスコミ的子供である。
もはや常識に存在を塗りつぶされ全く進歩性の無い人間となっているだろう。
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/download/1292730660/
おまもりひまり [DVDISO 5巻]
支援どうかよろしくお願いします
哲学は文学であり論理に縛られない自由なものだ。
どのような態度でいるべきかの指針を真善美における調和で与えてくれるだろう
哲学の本質は決して論理という小さな定規では測れない動因不明の運命という名の大舞台いや、人生哲学である。
仮に精神が物質から与えられるものだとしても
それは真実の優越において善や美が服従するという意味ではない
真実のみが本質ならば、物質的運動以外に生命の意味を見出すことはできないだろう
生命を生み出す法則を創った、神は何を意図して生命を創り、哲学をさせているのか
存在論には多くの意味がある。
故に時には真実すら欺く慎重な議論を要するだろう。
真実は証明という強い武具があるが、真実は善や美というものを計量することはできない。
おそらく本質的な善や美は原則的に証明不可能である。ここに真善美を調和をはかる神のトリックと
神自身を超えて欲しいという願いがこめられているのではないだろうか。
近代の見方としての認識する過程も重要なものだ。
科学的実証は真実を描くが本質的な真実は詰め切れず
どこか盤面を引っくり返されるような一手が残されているような気がするということを如実に描き出した人物の登場
近代において真善美は同時に発達してきたという点も見過ごせない史実だろう。
そして、人間は真実という清き流れの生物ではないという点も真善美の調和という目に見えない流れが
真実だと思い込んでいるものに伏流しているかのようだ。
現代では科学というものに権威を奪われた哲学のように見られるが
いずれは神の意思を受け継いだカント以上の人物が科学に立ち向かう「調和」をもたらすだろう。
文章は「真実を美しく描き聖性を放つもの」でなくてはならない
科学者、芸術家、宗教家など誰しもが納得する調和的文章は
啓蒙する態度や学ぶ態度のどちらにも欠けてはならないだろう。
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人はなぜ趣味を持つのだろうか
それは他者に共有されない反大衆的美学の開発
すなわちアイデンティティである
美術とは生活世界の記録といってもいい
しかし、これは単純なものではなく三次元空間における一つの作品に形相世界を圧縮しなくてはならない
古代人の当時の生活は原始的なものであったにせよ、それを読み解くことで感情を共有し
そして、どのような表現を用いているかという希少性において価値が生じるものである
思想とは柔らかいものであり、それを理想主義的に忠実に象るならばまさに人の形のような造型となる。
これは西洋によくみられる人間を中心とした形象美術に表される社会的要因により構造される。
俯瞰すると精神文明とは人間中心の流体力学のような複雑性をもっているといえるだろう。
現代神経科学において主流とされる右脳・左脳論とは反発的意見となるが、
感性とは理性を複雑化しただけの紙一重の関係といえるかもしれない。
流体というテンソル場はその煩雑なマトリックスにおいて感性的表現が可能となる。
美術史には「幾何学」という言葉が多用されるが、微分・位相幾何学や流体・気体力学、相対論的量子力学など
記号という限られた表現方法において思想的・美術的意味を見出すに至るだろう。
高尚な論理とは暗闇に閉ざされた個室の中に光を見るのである。
倒錯した人類の歴史はどこへ行こうとしているのか
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現代は歴史的な後押しもあって大衆文化が社会的影響力を持つ「現代アート」の時代となった。
しかし、大衆文化というのは個人個人が自己満足するために活動をする時代ではない。
大衆文化の時代となったとはいえ個人は集団に属し「社会的な発言力」を持たなくては本当に自己満足で終わってしまうだろう。
コミュニティに自ら属し専門性を身につけ、「発想を力に変える技術」を身につけ
局所集団と情報交換を交わし議論を発展させ集団としての影響力を持ち
時にこうしたアゴラ(広場)で情報交換という異文化思想集団との接点を持ちながら
自己とその属する集団を高めなくてはならない。
「個人の発想」の素晴らしさは現代的風潮に反映され実証済みであるが、それゆえ「力に変える専門性」に乏しいものとなっている
結局のところ、人間、特に日本社会では「金」や「立場」や「力」など現実的なもの以外は受け入れられないといえる。
集団・コミュニティなどに属し主義を持って、
社会への進出しなくては「自己の精神的健全性」すら保たれず「中途半端」と成り果てるだろう。
即ち、大衆文化・多様化の時代とは個人主義とか極端なものではなく社会の影響力が分散し「小社会」に分化した時代であり
「小社会への進出」もしくは「小社会への糾弾」が簡易化された時代であり、
「趣味は集団に属するためのきっかけ」という認識を持つべきである。これが現代アート時代の本質である。
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www運営クソスレくらい消せよw
金もらってんだろ?仕事しろw
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このスレの必要性がまったく理解できんwww
悪口とか言いたいんだったら2chにでも行けば?w
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BitTorrentはLinuxのISO配るためのものだろ?
いい加減にしろよ
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