あけ「おめこ」とよろ はNG


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■あけ「おめこ」とよろ はNG

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1 名前: no name :2010/12/31(金) 23:21:58 ID:YIwc6enC

ってどうなのよ

2 名前: no name :2010/12/31(金) 23:47:19 ID:JxVL+4jd

だいじょぶだ問題ない

3 名前: no name :2010/12/31(金) 23:55:50 ID:YIwc6enC

ほんと?信じるんだからね、ばか…///

4 名前: no name :2011/01/02(日) 02:10:15 ID:fHzUflv9

       /          ヽ
.       i   _,,_ル,,rョュ 、 i
       |  ィ rっフ , 弋ミア |r,
     .. _|  "''"~ ハ   ハ   .i;{

5 名前: no name :2011/01/11(火) 18:59:36 ID:ktEjo5k+

>>1
だいじょうぶ。ボボボーボボーボボはNGやなかと。

6 名前: no name :2011/01/12(水) 12:54:14 ID:kIC8N6V4

アートを解する方法として理性的方法と感性的方法がある。
理性的方法としては史実よりアートの流れを追っていくことでどのように発展してきたかが理解できる。
精神文化においても全く因果がないというものではなく、
人に倣い歴史を反映し、世代的関係性から少しずつ流れを汲み取れるのである。
一方、こちらのほうが正しい見方とされるという現代芸術である感性的手法であるが
これは全く歴史を顧みず、アートの比較のみで関係性を探っていくものである。
四原因説で分析すると、アートには通じて作者の想いがあり、
私(質料)がいかにして(作用)作者の想いを受け取る(目的)かがアート鑑賞(形相)の四原因である。
不明の作用は「史実を追う」または、「アートの比較」が入ると思われ他はほぼ自明である。
「史実を追う」小さな因果を否定する、感性的な流れとは「アートの比較」による大きな枠での因果を探る行為である。
「アートの比較」は芸術界の通説であり論理関係記述の「信用」において成立する。

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