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誹謗中傷すれば天狗になれると思ってるんだからねww
終了。
かいさーん!
運営も本気出して何度も通報されたら規制されるらしいよ
ざまぁ中傷厨www
厳密な定義を考えないならば、ロマンとは目的因に近い意味合いを持つ
新古典主義にしても、ロマンチシズムの対象外ではない、今その場から離れる作用因を持つ思想でなくてはならない
そうでなければ生きる意味を無化したのも同然である
いや最終的にはロマン主義という枠組み自体を否定しなくてはならない
つまり批判すべき対象を作らない思想の無化、ロマン主義の最終構想は
目的因のそれではなく、質料因の∇(ナブラベクトル)である
むしろロマン主義のアンチという差異を作る事をも許容し、その本質を肯定的に否定する事に帰結する
実はポスト構造主義とほぼ同じ意味だが、それと比較して自我の否定する成分の25%増である
自我を否定する自我というのは矛盾する
すなわち存在を規定する現存在という存在機構は自我を否定するという行為に関して
必然的に自我を対立させるためであり、それは自我を否定する代わりに自我を取り入れることを意味する
つまり、無意識と忘却、言語化しない美学にして一切を忘却するというべきだろうか
すべては自意識過剰の言語化であったのかもしれない
だが生の実感としての自我を最低でも持っておくべきだろう
これは英米系のプラグマティズムに続く思想なのだろうか、いまいち思想の性質を把握できいない為に
その場の感情に流され論理が無化する傾向があるようだ。
思想がどうこうよりもハイデガーのように思想の本質に迫るところから立て直す必要がありそうだ
構造主義自体も実存主義から連なる構造であった、という認識が反省点である。
哲学の成熟した形としての思想という事の意味にようやく理解に及んだといえる。
人間のロマンは直感的に理解しやすい体験から始まり、人間関係やそれに伴う義務感や達成感などの総合的なものであって
実は純粋な美学はないのかもしれない。私自身、思想を応用できるか、できないか、
哲学の概念を理解する事の心地よさは他人との差を確認したかったためなど純粋な美学にはやや遠い動機で
文章の美しさなどは第二・三理由辺りとしているのかもしれない
だが、目的を持って事に当たるとは達成感などの報酬をことではないだろうか、
何であれ努力の動機が存在する事でロマン主義の最終目的が達成される。
ちょっと意味が分からないですね
tasikani
俺の動画にケチ付けてくるヤツ、何だよ!死ね!!!
価値観が違うんだよ・・・だからあんな事が出来るんだ
人にとって客観的に見て理解することは簡単じゃない
宗教に関心がないというのは中国系の思想、日本人のキリスト教への関心の薄さは徳川政府の政策に由来している
人類学とは難しいものだ、根本的思想どうしが抑圧しては主張するサラダボールのようだ。
見える人間に思想が宿るのではなく、見えない思想が一人歩きして人間に宿る。故に一概に批判すべき人間もない。
思想の服という線(それっぽい)で捕らえるのではなく、なるべく主観を排して
思想の3本のより糸という点(事実)で捕らえることが史学的観点の基本中の基本、史実の原則。
当然、見えないものを推論する以上解釈的見解は免れ得ないので史実に基づく反論を待つのが鉄則。
宗教に関心がないのが日本人などは先入観でしかなく意味のない情報。当然論壇には上がらない。
先入観に支配され知識に興味を示さず飾ればいいというファッション的観点はむしろ東洋思想に近い。
学問の先進はどの分野であろうと、どの国であろうと直感主義を極力排しなくては表には出られない。勉強嫌いな人間は論外。
人類の文化は事実・実績を示す点の集合であるといっても過言ではない
>>15
価値観は知識から生じる。知識のない価値観は価値観以前の問題。
知識層に支配されたそれを大衆と呼ぶ。
>>15
宗教はそもそも証明不可能なことはカントの宗教的な二律背反と言われている。
つまり、それが嘘か本当かという見方は価値観の違いという要因に他ならない。それもある種の宗教。
「浅薄な哲学は人の心を無神論に傾け、深遠な哲学は人の心を宗教へ導く。 」 フランシス・ベーコン
何かここのスレ臭い
>>19
間違えがあるというなら事実を添えて言いなさい
>>19
ちなみにゲーデルの不完全性定理はこの二律背反を数学的に上手く用いたものだと思われる
カントの著作を読んだことがあるのかな
正直なところ思想家などは政治に疎いといわざる得ない。
彼らが馴染みやすいのは文学、神学、物理学といった非実践的な学問らしい学問なのだろう。
メディアで哲学などが話題に上りやすいが哲学者の政治参加は理想論だと思われる。