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雑談するでゲソ!
だが断るでゲス
なんだこの糞スレは?初めて見るでゲソ!
雑談したいがイカ娘見てないんだがどうしたらいい?
さすがに伸びないんじゃなイカ?
ヤ ラ ナ イ カ ?
>>6その発想は予想済みでゲソ・・出直すでゲソ。
我が世の春が来たでゲソ!
この発想は無かったでゲソ
ヤ メ ナ イ カ ?
貴様ら...それでも...ニコ厨かッ...!
なにこいつら気持ち悪い
雑談ぐらいいいじゃなイカ
>>12
わざわざコメントするなでゲソ
イカ娘、弱い
イカ娘、二期あるの?
侵略でゲソ!
削除済
俺のイカ娘がこんなに可愛いわけがない
これはひどいでゲソ
削除済
支援するゲソ
もう古イカ?
私もかつて勘違いしていたことだが新の力を手に入れるためにはやはり勉強しなくてはならない
かつて経験則から類推する思索能力に万能感すらもっていたのだが、勉強をしなくては
低レベルな思索に気づかない内に堂々巡りとなってしまっていた。これはいわゆる我流哲学者に多い症状ではないだろうか。
結果、ロマンへの到達に疑念を抱く状況にすら追い込まれ、勉強をするようになったのだろう
自己の思索能力にばかり信頼を置いて、学者が積み重ねてきた議論をないがしろにする姿勢は自己の幅を狭めてしまう
やはり勉強することができるにこしたことはないだろう
センスがあれば記号化された現代社会すら読み解き全貌を見渡すことができる
それを信仰すればロマンという見えない星への敬意すら持ち合わせる
故に分有される精神の高揚に基づく尊ぶ精神を重要とする美学主義的勉学論である。
求めるべきは真実より美しいものである
人間は真実という名の日常生活よりも
興味を惹かれる美しさにこそロマンを求めるのである
いったん常識という名の押し付けられた絵画を破り捨て、
パズル状の美しい絵画の完成を夢見るべきである
つまり常識で語られる程度のものは学問のものであったとしても日常生活には無用の長物である
センスの伴わない理論は不要である。センスのない真実などただの暴力でしかない。
そもそも真実は確かめようもないことは、不完全性定理として数学的に証明されているのであって
人間の原動力はいつも自己が信仰する美学である
形而上学・形而下学などのカテゴリ分けは無意味である。
そのカテゴリへの偏見を持ってつまらないものと決め付けることはその実、自ら美学を汚している
カテゴリとしての美学があるのではなく、美学がカテゴリを分けるのであって自ら定義したカテゴリ分け以外に意味はない
とはいえ、他人の意見もしかり、だが人間の多様性は侮りがたいほどに雑食志向であり、
他人が決めたカテゴリで純粋な美学を跳ね返すことこそ不幸である。
*カテゴリの形式美というものもある。
カテゴリの記号による差異をなくすことが一概にいいとはいえない
信仰の対象を失い自己の美学で克服してしまうことで自己を優先しすぎることについて問題だろうか。
やや微妙な問題となってしまった、こうした場合は通説や弁証法による相対的解決を待つのみである。
当然、二項対立という不満要素が残るのだが、論拠を明確化させる相対的解決は学問的姿勢であるだろう。
美学を制する潜在構造としての問題の浮上となる。やはり美学も反省的であることもありうることであり
本質を説くことより、主観的とならないよう論拠を重視すべきであろうか。
しかし、美学を非理性的でつまらぬものという通説どおりに斬って捨ててはならない感ではある
完全な思想とは何だろうか。やはり我流にとってつけたような勉学では手に負えないのかもしれない
しかしヴィジョンは見えているつもりである。というのも直感的な予見でしかない。思想においても論証過程を克明すべきかどうか
全ての文章を疑問形式で終わらせれば少しは真摯的なのだろうか
そもそも自らの望む方向に推論し、論理をくっつけるような直感主義的な方法に陥っているのかもしれない
人間は論理的であることが本質なのだろうか。しかしやはり何に関しても論証が必要となっては論を進められないし、
論理自体は価値基準そのものでありえないため基底ベクトルとしては身勝手な価値基準の直感にならざる得ない
議論により解決すべき問題とするべきなのだろうか
長文の応酬って場違いじゃ?