インドの建国の父が誰か?


告知欄


■インドの建国の父が誰か?

現在表示しているスレッドのdatの大きさは512KBです。

93 名前: 恵也 :2011/01/13(木) 12:55:18 ID:R3DOCRFA

>>71 この話自体、伝聞の伝聞で証拠価値がない

たしかに伝聞の伝聞だが、話した人間、聞いた人間、又聞きした人間が
はっきり判るし、信憑性がある証言。

長勇→藤田(上海特務機関)→徳川義親(最後の殿様)
最後の殿様は長勇とも親しく、藤田氏はクーデター計画のスポンサーで長勇の
大親分に当たり、同郷の人間。危険な話でも内緒にしてもらえる気安さもある。

殺された兵士は名誉の戦死として、遺族には軍の名誉の為に説明されぬはず。
副官とは誰の証言なのかわからんけど、同じ穴のムジナには証言能力はない。

現場はいつも長勇が仕事場とする上海派遣軍司令部ではなく、下関埠頭で
あり佐々木到一少将指揮下の16師団38連隊が侵攻した場所と思われるが、
南京占領直後の南京で、佐々木少将らと長勇中佐が酒盛りをした証言があります。

また軍の輸送隊にいたカメラマンが、下関埠頭でたくさんの遺体を目撃した証言
もあり、最後の殿様の証言の信憑性は非常に大きい。

ーーーー引用開始ーーーー
その夜(十三日)、鼓楼の近くにある中国銀行で、電気はないのでローソクを
ともし、持ってきた缶詰を開け、一升瓶の詮を抜いて、原田熊吉、長勇、佐
々木到一といったつわものと祝杯をあげたことを覚えている。
http://www.geocities.jp/yu77799/hukuda1.html

大虐殺のうわさが…
 ようやく足止めが解除されて、ある日、荷物受領に揚子江岸の、下関埠頭
へ行きました。すると、広い河岸が一杯に死体でうまっているのです。 岸辺の
泥に埋まって、幅十メートル位はあろうか、と思われる死体の山でした。

揚子江岸で大虐殺が行われた、というその現場でしょうか、軍服を着た者はほ
とんどなく、大部分が平服の、民間人で、婦人や子供も交じっているようでした。
(村瀬守保氏の写真と記録  より)

名前
メール
コメント
新着レスの表示 掲示板に戻る 全部 前100 次100 最新50