現在表示しているスレッドのdatの大きさは512KBです。
>>68 「捕虜の反乱」が原因だった幕府山事件を持ち出すとはね
その見解は捕虜を殺した部隊の幹部が、戦後になって手記にして出したもの。
たとえて言えば殺人犯が、死んでしまった被害者が喋れないのを悪用してその
ミスを指摘し「俺は悪くない、被害者の責任だ」と自己弁護を言ってるようなもの。
加害者側の幹部ではなく、下士官の証言では最初から「始末する」命令でした。
捕虜には中洲へ移動させるという言い訳で、ジュズ繋ぎで連行してます。
ーーーー引用開始ーーーー
上からの「始末せよ」の命令のもと、この捕虜群を処理したのは入城式の一七日
であった。捕虜たちにはその日の朝「長江の長洲(川中島)へ収容所を移す」と
説明した。
http://members.at.infoseek.co.jp/NankingMassacre/butaibetu/yamada/kurihara.html
>> 一度たりとも答えた事がないくせにw
答えたはずなんだが、あなたが見なかっただけだろ。
日本軍に被害が出た理由は、あまりにも多い捕虜で日本軍兵士が少なかったから。
あなたは敵味方の人数がどのくらいか判って書いてないでしょう。
下士官の栗原証言では「我が大隊が135人」という話から虐殺した両角業大佐
の65連隊全員でも500人くらいで、13500人の捕虜を殺したわけだ。
幕府山の中国兵には弾薬の輸送が追いつかず、弾薬ナシになったのでこんな
大量の捕虜を両角連隊が確保したもの。
そのため日本軍兵士間の連絡がうまくいかず、遠くの位置にいる日本軍兵士の
姿が見えない状態で日本軍の銃撃が始まり、捕虜の誘導からタイミングよく逃げ
出しそこなった日本軍兵士がいた為だ。