インドの建国の父が誰か?


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■インドの建国の父が誰か?

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440 名前: no name :2011/01/24(月) 23:54:23 ID:VrV6IRur

「王妃を殺したのは、不貞の私の部下だ」と現場に居た高宗が証言
(1906年統監代理長谷川好道韓皇謁見始末報告(國分書記官通訳并筆記))

純宗も、現場に居て、犯人が朝鮮人だとハッキリと証言している。
「国母を殺したのは、禹範善だ」(往電31号)

その名指しされた朝鮮人実行犯の禹範善自身が、「旧年王妃を弑せしは自己なり」と自白している。
(在本邦韓国亡命者禹範善同国人高永根魯允明等ニ於テ殺害一件)

「守備隊の警護の制止を突破し、城内に侵入し、野次馬は深く建物の内部に入り、王妃に傷を負わせ、裸にし、
念入りに局部の検査をし笑いながら、また、怒りながら最後に油をかけて焼き殺した…」
(石塚英蔵書簡)(「野次馬」という表現は日本軍には使わない)

「王妃殺害を今回計画したのは、私です」と証言した李周會
(朝鮮の裁判官報)

「1895年11月26日に実行された王妃暗殺では、間違いなく大院君(国王高宗の父)がかなりの役割を演じていた」
(ロシア参謀本部中佐、カルネイエフ著『1895―1896年の南朝鮮旅行』)

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