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>>96 そもそも「足止め」なんて無かったし、新聞記者は早ければ陥落当日に入城していた者もいました
「足止め」はありました。
松井石根大将は、南京城内に激戦を潜り抜け凶暴になった軍を城外に
足止めして、軍紀が緩んでない部隊だけを入れようとしましたが各師団から
無視されて乱入してしまいました。
そのために、占領当初には10万ほど乱入した兵士にたった20人くらいの憲兵
しか居なかったので軍紀が極端に緩んでしまいました。
松井石根大将の命令を真面目に守ったのが、輸送部隊にいた村瀬氏の
部隊であって、功名心にかられた谷中将の第6師団と中島中将の第16師団
が桃太郎の鬼退治みたいに財宝をかっぱらってます。
中島中将も生き残ってたら戦犯として絞首刑でしょう。
ーーーー引用開始ーーーー
第6師団長穀寿夫から南京守衛を受け継いだ第16師団長中島今朝吾は財宝
を満載して日本に帰った一人である。彼は蒋介石的文房四宝(紙、墨、筆、硯
の文房具セット)を盗んみ帰った。
社会学家スミスが率いる国際安全区委員会の職員たちは南京付近の6県(揚
子江北の江浦、六合兩県、江南の江寧、句容、シスイ、高淳四県)的農村と
南京の家庭を3か月間(1938年3月8日から6月15日)の調査を実施し、その結
果を《南京戦禍記実》にまとめ、1938年に南京で出版した。
調査の結果、南京市内の家屋は89パーセントが破壊され、うち2パーセントが
戦闘によるもので、放火によるものは24パーセントで、残りの63パーセントは
略奪と強盗によるものであった
(呉 天威 氏より)