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>>97 虐殺があったといわれてますが、十六、七日頃になると、小さい通り
>> だけでなく、大通りにも店が出てました
これは事実でしょう。
南京城内だけでも40平方kmある場所で、この時期には城外の捕虜殺害が
実行されてただけで一般市民への殺害はあまり行われてません。
この時期は中国兵捕虜を、埠頭で流れ作業的に殺害してるので、外国人
新聞記者に処刑場面が目撃されてます。
日本の新聞記者はそんなものを写真にとっても、記事にしても日本国内では
検閲のため発表出来ないので全く興味がなく、集まりもしませんでした。
しかし外国人記者には発表できるので、ニューヨーク・タイムスなどで世界に
どんな状況になってるのか公表されてます。
ーーーー引用開始ーーーー
『ニューヨーク・タイムズ』37年12月18日 T・ダーディン
上海行きの船に乗船する間際に、記者はバンドで200人の男性が処刑されるの
を目撃した。殺害時間は一〇分であった。処刑者は壁面 を背にして並ばされ、
射殺された。それからピストルを手にした大勢の日本軍は、ぐでぐでになった死体
の上を無頓着に踏みつけ、ひくひく動くものがあれば弾を撃ち込んだ。
この身の毛もよだつ仕事をしている陸軍の兵隊は、バンドに停泊している軍艦か
ら海軍兵を呼び寄せて、この光景を見物させた。見物客の大半は、明らかにこ
の見せ物を大いに楽しんでいた。
(笠原十九司『南京事件』より)