>>445
>日清戦争の前に、日本軍の奇襲攻撃を朝鮮王朝が受ける前までが朝鮮の指導者としての最高の力をもってた
嘘つかないでね?
日清戦争前の朝鮮国王は↓こんな感じ↓ですから
http://www004.upp.so-net.ne.jp/teikoku-denmo/html/history/honbun/nikkan1.html
>例えば、国王。
>コリア(新羅・ 高麗・ 李朝の歴代王朝)では、たとえ「世子」(皇太子)だったとしても
>支那皇帝の承認がなければ王位を継承する事が出来ませんでした。
>又、コリア王の地位は、支那皇帝は元より、
>朝鮮駐箚(ちゅうさつ)官(支那がコリアに派遣した駐在官で、コリアの政治・軍事全般を監督させた) よりも、「下位」でした。
>日本では一般に「大化」に始まった(実際にはもっと起源は古いのだが・・・)日本独自の元号が連綿と現代迄続いていますが、
>コリアでは支那の元号を使わなくてはなりませんでした。
>と同時に、政治・文化全般においても、支那の「国教」とも言える儒教思想を規範としなくてはなりませんでした。
>更に、朝貢制度によってコリアは支那に定期的に使節団を派遣、支那皇帝への忠誠を再確認させられると共に、
>膨大な貢ぎ物を献上しなくてはなりませんでした。
>しかし、 当時、清朝は李朝に対する「宗属関係」(宗主国と属国の関係)を主張し、
>欧米列強も李朝を「独立国」として認めず、清朝の「属国」・「属領」として認知していました。
>そんな中、日本だけが唯一、李朝を「独立国」として承認したのです。
>そんな気持ちを知ってか知らずか、李朝は相も変わらず清朝を「宗主国」として仰いだのです。
>その後、日本は朝鮮半島政策を巡って、「宗主権」を主張する清朝と対立、明治27(1894)年、遂に日清戦争へと発展したのです
>結果は 日本の圧倒的勝利に終わり、清朝は遂に李朝に対する「宗主権」を放 棄、
>明治30(1897)年、李朝は国号(国名)を「大韓帝国」、国王を「皇帝」と改称し、遂に「独立」を達成したのです。
>言い換えれば、日清戦争における日本の勝利が無ければ、李朝は「独立国」となれなかった(裏を返せば、「属国」のまま)訳で、
>コリア人はその事実を直視すべきだと思うのです。