韓国哨戒艦「天安」と原子力潜水艦の沈没を解析6


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■韓国哨戒艦「天安」と原子力潜水艦の沈没を解析6

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106 名前: 恵也 :2010/10/27(水) 20:35:51 ID:nocO8SbX

>>101 1944年9月〜1945年3月の「7ヶ月間」に日本に連れて
>> こられた朝鮮人だけを「強制連行」(徴用)って呼ぶんですよ

アンタが勝手にそう呼んでるだけだろ。
強制連行とは、意思に従わずに無理やり連れて行かれること。
だから町や村に無理やり割り当てられて連行されたり、歩いてたら
軍隊に拉致されたり、騙されて船に乗せられ連行されるのも強制連行。

徴用だけが強制連行だなんて、言ってるのはアンタくらいだろう。
日本語では無理やり連行されることを、強制連行というの。

――――引用開始――――
1944年6月から飛行場建設が始まったとされていますが、19
43年秋ごろから飛行場建設に関わる動きが激しくなってきたとの
証言があります。

この飛行場には、強制連行された朝鮮人が3000人、県内から
集められた軍属・成人男女の勤労奉仕隊・中学生を主とした学生・
予科練習生があたりました。

当時、強制連行された朝鮮人 宋將用さんの証言によると、「夜、突
然、村のえらいさんがやって来て連行された、論山から釜山まで貨
車で、釜山から船で下関に着いた。トラックで運ばれた後、貨車
列車に乗りついたところが柳本だった。

昼間は飛行場の建設に、夜はトンネルを掘った。ごはんは一サジ
ぐらいで汁をぶっかけたらもう無い。腹が減っているからイナゴ
とか食べられるものは生で食べた。」

また、金永敦さんは、「朝5時半に起きて食事をし、6時半ごろから
仕事を始めた。休日は2年間で1日もなかった。結婚していた。
故郷から年貢を収めても足らん。どうしようかという手紙がきた
http://www3.kcn.ne.jp/~eatyhiro/new_page_12.htm

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