>>252 日本人入植地のほとんどは満州とソ連との国境沿いに展開されたが
間違い!
国境沿いというのは、人間が住みにくいから人がいず国境になるの。
逆に人が居るところは、簡単に畑などを作れる水の便のいい場所。
真面目に畑にしてたら土も肥沃になり、農民も住みやすくなる。
人が居るから交通の便も良くなり、日本からの農民も送りやすくなる
わけで交通の不便な国境は、イザとなったら徴兵も出来んだろう。
まず水が側になければ人は住めないよ。
満州の人間がみんな放牧だけで暮らしてたと思うのかね。
農業技術に関しても、地元に合った農作物でなければ育たない。
日本の農法は日本に適してるのであって、環境の違う外国には合ん。
農業は甘くない!
終戦後に南米にたくさん日本から百姓が行かれたけど、ほとんど失敗
してジャングルから町に行きクリーニング屋などで、生活されました。
農業で成功された方は、ほとんど居ないでしょう。
満州でもパルピンなどの大河の交流した、肥沃な土地に行っておられ
だからこそ生活できたの。雑草は生えるし農業は大変だよ。
――――引用開始――――
夫婦と妻の妹、子供二人が開拓団に入植するため満州に着き、ハル
ピン近くの開拓団に行く前に新京で何泊かする事になり、都南寮
から頼まれて、その家族に私の部屋を提供することになりました。
http://www.asahi-net.or.jp/~mf6t-tkhs/man_1.htm
満州は中央部は農業中心でしたが、周辺の草原、山岳地帯には鉄鉱、
炭田、油田があり、これを利用する産業が発展しました。
http://www9.wind.ne.jp/fujin/rekisi/china/karyu/manshu.htm