>>17 豊臣秀吉は鎖国なんかやってませんw
当たり前だ!
豊臣秀吉時代の外洋船をどんどん作って海外貿易やついでに朝鮮出兵まで
行っていた大型船建造能力が、鎖国令で作れなくなったことを書いたの。
あなたの方こそ「頭悪すぎ&無知すぎ」
豊臣秀吉が征服しようとした明は、鄭和の時代にアフリカまで行ってるんだよ。
それも1航海で3万人近くの乗員を乗せ、500人乗りの船を60隻くらい一度に
海外に出し、それも7回ほど海外探検に送ってる。
豊臣秀吉もそのくらいの大型船建造能力があったはずなんだよ。
明を征服するつもりだったんだから。
徳川政権の鎖国令は、日本の工業技術力、文化、軍事力を低下させてしまった。
>> ハァ?「漁業の技術」を親から子へ伝来する事が、なんで「漁船を作る技術が廃れない事」に結びつくんだ?
漁業の技術は、漁船を作る技術と一体不可分だろ。
漁師が親から子に技術を伝えると同時に、漁船の船大工も親から子に技術は伝えるもの。
>>19 「台湾から尖閣諸島の間には海流がほとんど流れてない」はお前の嘘
あんたの目が悪い!
台湾の右側にブツカッタ黒潮が、尖閣諸島と沖縄諸島の間を猛烈に流れてるだろ。
だから尖閣諸島付近では黒潮の逆流まで一つだが矢印が書いてあるのも気が付
かないのじゃないの。黒潮本流を拡大して見なさい!
>> つまりどっちが楽かで行けば、台湾→尖閣諸島より、沖縄→尖閣諸島じゃん
台湾からの方が楽だったから、沖縄の人が尖閣と名づけたのが1900年という遅い
時期になったんだよ。魚釣島に標識杭を打っていいという閣議決定の5年後だぜ。
――――引用開始――――
私は、いわゆる「尖閣列島」のどの一つの島も、一度も琉球領であったことは
ないことを確認できた。のみならず、それらの島は、元来は中国領であったら
しいこともわかった。
ここを日本が領有したのは、一八九五年、日清戦争で日本が勝利したさいの
ことであり、ここが日本で「尖閣列島」とよばれるようになったのは、なん
と、一九〇〇年(明治三十三年)、沖縄県師範学校教諭黒岩恒の命名によるも
のであることを知った。
(なぜ釣魚諸島問題を再論するか より)