現在表示しているスレッドのdatの大きさは512KBです。
>>533
いえ、一応公開してるわけですから遠慮なく使ってください。
台湾の本島人は一部の生蕃の方々以外、海での漁業は苦手だったようです。
大陸からの漢人は淡水魚の養殖を主要な漁業としており、鰹釣漁やトロール等は
主に内地人が操業していた云々台湾の水産業などに記されていたと思います。
手元に資料がないのでおおまかな書き方になって申し訳ない。
>19世紀に入ると台北付近が本格的に開発されるまでになった
当時の感覚では台北台東は未開の地に近い感じだったのでしょうか
当時尖閣まで出漁したという資料があるとするなら、それはそれで面白そうです。
>>538
ところが無動力の帆船で渡島していたのだから驚きです。
笹森儀助の南島探検にはコバシマに置き去りにされた雇い人が、ヤコウガイの採貝に来た
糸満人に助けられ、サバネ二艘に乗り那覇まで送られたという記述があります。
黒岩恒氏と共に尖閣諸島久場島を調査した宮島幹之助の地学雑誌寄港論文「黄尾島」にも
熊本県人伊沢弥喜太が帆船で以て沖縄漁夫を率いて渡島したという記述がある。
伊沢は1893年の出漁の帰路遭難して福州に漂着したりもしています。
1893年の官報には行方不明者として、前年1892年に沖縄県糸満村の漁師三名が漁業のため
尖閣へ渡島したが、石垣港への帰路遭難して行方知れずになった旨を告知している。
こういった内容の、明治期尖閣諸島における台湾船の出漁状況を知りたいのですよ。
資料があるなら是非ご教授ください。