>527 平家の落武者みたいに命の危険を感じながらのものだったのかい?
一度死にそうになったよ。
ピッチを上げすぎて、足が動かなくなり雨が降ってきて体が冷え暗くなって
来た時にはここで凍死するんじゃないかと思ったね。
運良くお堂があって、布団一組が置いてあったので助かったけど無かったら
あそこで死んでたかも知れん。
四国には接待の習慣があり、お遍路にはずいぶん気配りがしてあるよ。
>> 従って、出来る限り別行動を取らせて一網打尽を免れる
それは無理な相談。
そんな事をしたら、一生会えなくなってしまうよ。
日本人が満州から逃げ出した時にも、途中で別れたらドモならん。
目的地の日本がはっきり安全だったから、日本で合流できたけど安全な場所
が確定してない落武者じゃ、途中で別れたらマズ会えないよ。
>> 逃亡途中には何人も死者を出すなんて承知の上だ
あなたの逃げ方じゃ、源氏に追いつかれて全員滅亡だ。
狭い獣道じゃ、大きな道路を追って来る源氏のスピードに勝てない。
>> 彼らは合戦前に負ける事を前提にしていたのかw
合戦の時じゃなく、逃げ出す時のことだろ。
市街地から山奥に隠れる時のことなんだよ。
>> 日清戦争についてなど「証明」してないし
日清戦争のことが、たくさん書いてあるし、尖閣を日清戦争と無関係だとした
記述はありません。
――――引用開始――――
正確にいえば、台湾と澎湖島は下関条約第二条により、公然明白に強奪した
のであり、釣魚諸島はいかなる条約にもよらず、対清戦勝に乗じて、中国
および列国の目をかすめて窃取したのであった。
しかもこの強奪と窃取は、時間的につらなっているのみか、政治的にも一体
不可分のものであった。このことを論証するのが、本論の第二の課題である。
(なぜ釣魚諸島問題を再論するか より)