>>329 大正8年(1919年)4月5日にアメリカに駐在、 ハーバード大学に留学した
有難う、これは俺の勘違いだ。
>> 少なくとも日米戦争の頃の話じゃねーだろ
いやこれは松岡がヒットラーと日独防共協定を結んで帰国した頃の
話で、昭和天皇としては日本の将来に危惧を持たれたようだ。
たしかにこの協定のせいで、米英との対立が激化して米英の中国支援
を招き、世界から孤立化してしまった。この日独同盟がなければ
対米戦まで行かないで済んだでしょう。
>> 当時の台湾は 日 本 領 だっつーの
判って書いてるんだけどね。
台湾の漁民は沖縄の漁民よりずっと昔から尖閣諸島という場所で
漁業をやっていた証拠として出したので、台湾の漁民の島であって
「無主地」という誰も知らない島じゃなかったということ。
福建省から沖縄に明の使節団が行く場合にも、尖閣諸島を目印にして
行ってますし、尖閣諸島までを明の領土だという意味の日記も残っ
てます。
石油の埋蔵が明らかになった1971年に中国政府の声明文でも明の
時代の海上防衛圏が尖閣諸島まで含んでいたとしてます。
――――引用開始――――
これらの島嶼はすでに中国の海上防衛区域のなかに含まれており,
それは琉球,つまりいまの沖縄に属するものではなくて,中国の
台湾の付属島嶼であった。
中国と琉球とのこの地区における境界線は,赤尾嶼と久米島との
あいだにある。中国の台湾の漁民は従来から釣魚島などの島嶼
で生産活動にたずさわってきた。
http://www.panda.hello-net.info/data/chougyotou.htm
>> 清朝の官吏傳雲竜が「遊歴日本図経」を書き上げ、
これは日本を調べるために日本に来て調査した報告書であって
日本の地図を使ったのじゃないかね。俺が中国を調べて日本政府に
伝えるとしたら中国の詳細地図を使うよ。チョッと証拠価値は??