>>160
>会稽郡の東冶と福建省の東冶とは場所が違います。
>魏志倭人伝には会稽郡が2回出てますが、これは上海の付近のこと。
その証拠はどこにありますか?
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%9A%E7%A8%BD%E9%83%A1
>後漢が成立すると冶県は東冶県に改められ
東冶県とは・・・
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%B6%E7%9C%8C
>現在の福州市中心部及び閩侯県の一部に相当する。
全然シャンハイ関係無いでしょ
そもそも「上海」という名前が生まれたのは宋の時代だよ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8A%E6%B5%B7
歴史捏造癖はやめなさい
お前の妄想は鼻で笑うレベルの無知蒙昧です
>福建省に会稽郡って俺は聞いたことがないのだけどね。
勉強してなければ「聞いたことがない」のは当たり前でしょ・・・
お前が知らない=存在しないじゃないだろ
だからお前は「キチガイ」なんだよ
>ところで夏王朝ころから文明が進んでるとは思えない。
なんで夏王朝?
「会稽郡(かいけい-ぐん)は中国にかつて存在した郡。秦代から唐代にかけて設置された」
このようにウィキに書いてあるのが読めませんか?
そもそも「夏王朝」は実在しないのですが
伝説や神話を「歴史」に加えてしまうなら、「ウガヤフキアエズ王朝」とかも認めてくださいよ
>その点、上海の側であれば揚子江の河口で肥沃な土があり、農業の
生産性が非常に高かったと思える。
「思う」は証拠になりません
「上海」は宋の時代まで名前すら存在しません
それに上海が経済発展して大都市になったのは、アヘン戦争で清国が敗北して外国の租界が作られてからです
つまり、日本の「横浜村」と同じです
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8A%E6%B5%B7
>アヘン戦争を終結させた1842年の南京条約により上海は条約港として開港した。
>これを契機としてイギリス、フランスなどの租界が形成され、後に日本やアメリカも租界を開いた。
>1865年に香港上海銀行が設立されたことを先駆として、欧米の金融機関が本格的に上海進出を推進した。
>1871年には香港と上海を結ぶ海底通信ケーブルが開通し、日本の長崎にも延伸された。
>1920年代から1930年代にかけて上海は極東最大の都市として発展し、
>イギリス系金融機関の香港上海銀行を中心にアジア金融の中心となった。
>上海は魔都或いは東洋のパリとも呼ばれナイトクラブ・ショービジネスが繁栄した。