>>36 しかし彼らは「殺人罪」には問われません
死刑執行人と南京虐殺での日本軍の根本的違いは、裁判が行われなかったこと。
武器を捨てた捕虜にしても便衣兵容疑者にしても、死刑にするには裁判が必要です。
裁判を国家の責任で開いて、証拠を調べて法に照らして死刑にする。
しかし裁判もせずに武器も持たない、抵抗もしない人を大量虐殺したから問題なの。
虐殺行為の合法や非合法は関係ありません。
人間が作った法律以前の、人間界にむかしから存在した自然法の問題。
司馬遼太郎という作家が戦時中、戦車隊におられたが軍隊というものは命令にたいし
盲従してしまうところがある。守るべき国民を逆にひき殺してまで日時命令を守らせる
ような盲従上官がいたらあなたはどうするかね。
ここに自然法がでてくるんだよ。
ーーーー引用開始ーーーー
「素人ながらどうしても解せないことがあった。その道路が空っぽという前提で説明され
ているのだが、東京や横浜には大人口が住んでいるのである。
敵が上陸(あが)ってくれば当然その人たちが動く。もの凄い人数が、・・・北関東や
西東京の山に逃げるべく道路を北上してくるにちがいなかった。・・・この市民たちと
南下する戦車とがぶつかるため交通整理はどうなっているのかを質問したところ・・・
(将校は)しばらく私をにらみすえていたが、やがて昂然と『轢っ殺してゆけ』といった。
同じ国民をである」
松下氏はこの例を引きながら「日本軍には、国を守るということと、国民を守ると
いうことの区別がついていなかった。・・・日本軍は天皇や国家を守るということで、
市民を守るという発想がなかった」と指摘する。
また日本軍では「絶対に捕虜になっていけない、(すなわち)投降権を全く認めな
かった」ので、「勝つか玉砕をするか」しかなく、「オレも死ぬのだから市民も一緒に
死ねという論理で、かえって市民がまきぞえを喰うこと」になったと指摘する。
このような事態は実際、沖縄戦で現れた。そこでは軍人のみならず、大勢の一般
人が死ぬこととなった。
(司馬遼太郎の「歴史と視点」 より)