中支那方面軍は、上海戦以来の不軍紀行為の頻発から、南京陥落後における城内進入部隊を想定して、
「軍紀風紀を特に厳粛にし」という厳格な規制策を通達していた。しかし、
日本軍による捕虜、敗残兵、便衣兵、及び一部の市民に対して集団的、個別的な虐殺事件が発生し、
強姦、略奪や放火も頻発した。日本軍による虐殺行為の犠牲者数は、極東軍事裁判における判決では20万人以上、
1947年の南京戦犯裁判軍事法廷では30万人以上とされ、中国の見解は後者の判決に依拠している。
一方、日本側の研究では20万人を上限として、4万人、2万人など様々な推計がなされている。 http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/china/pdfs/rekishi_kk_j-2.pdf 外務省HPより
人数は定かではないけれど虐殺、強姦、略奪、放火は事実だね。