>>161 「人を殺すのはこうするんじゃ」の話は嘘だと証明されただろうが
あなたの出した程度の話じゃ、証明なんていわないよ。
当時の軍隊では戦場での命令には「命令の如何を問わず実行しなければならない」
命令を聞かなければ、敵前抗命罪として殺されても文句が言えないのが下級兵士。
ーーーー引用開始ーーーー
当時のこの国の若者の義務として、命ぜられるままに銃を執り、中国へ渡り、戦い
ました。そして、私も先ほど話をしましたように、無抵抗の捕虜を刺殺しました。
例えそれを拒めば抗命罪、陸軍刑法上最も重い罪である敵前抗命罪として己の
命を奪われるとしても、この手で他人の命を奪ったのは事実であります。
私は正に殺人の罪を冒しました。
戦争だから、というのは言い訳にはなりません。まだ、対等に戦って勝ったというなら、
いささか心に許せるものがありますが、高手小手に縛り上げて全く無抵抗の相手を、
命ぜられるままに銃剣で刺殺したというのは恥です。
(意 見 陳 述 より)
>> 長勇は参謀であって最前線にいるのはおかしい
長勇中佐は当時、上海派遣軍司令部・参謀第二課長として幹部でしたが、日本
ではクーデターを起こそうとして失敗し中国に左遷された暴れ者。第二課には課員が
5人もいるし、課長1人がいなくて困るものじゃないだろう。
課長本人が必要と思った場合、課長が最前線と行き来してもどうって事ないだろう。
当時の南京日本大使館で働いてた福田篤泰氏は、南京占領当日12月13日に
司令部は到着してないけど、長勇中佐らと南京市内で酒盛りをしておられます。
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その夜(十三日)、鼓楼の近くにある中国銀行で、電気はないのでローソクをともし、
持ってきた缶詰を開け、一升瓶の詮を抜いて、原田熊吉、長勇、佐々木到一とい
ったつわものと祝杯をあげたことを覚えている。
http://www.geocities.jp/yu77799/hukuda1.html