>>384 南京城壁の外側は中国人の「清野作戦」できれいさっぱり
南京城壁の外側で、日本軍の掩蔽になるものは燃やしてましたが、きれいさっぱり
という物じゃありません。最初頃は南京城死守方針だったのでその準備をしたもの。
むしろ日本軍が退却してマタ戻る気がない意味と、敵国の国力低下の意味で
燃した件数の方が多いだろう。
日本軍は南京に行く前に放火・強姦・殺人を繰り返してます。
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無錫は人口90万人の工業都市であった。1937年10月下旬以後、毎日のように
日本軍の空襲があった。上述の<ミロシ(密勒氏)評論>によると11月10日の1日
に160枚の爆弾が落とされ、
工場や商業地区のすべてががれきの山と化し、住民の死傷者も多数出た。11月
26日、悪名高い第16師団第20連隊が占領した後は、虐殺、放火が10日間も続いた。
第3大隊の上等兵であった北山氏が1987年発表した《北山陣中日記》の記述に
よれば、「入城後軍人か平民かに関係なく虐殺が行なわれた、日本軍は無錫で
3000人の女性を拉致し、その内、将校が占有したり、南京まで連行された行った
りした人数も多かった」。また、《北山陣中日記》によれば、「11月29日常州を占領
した後も、住民を皆殺しにする命令があって、結局4000人以上の住人が殺された。」
(呉 天威 氏より)