>>560 そんなに簡単に「宮司」にはなれません
俺が知ってる範囲じゃ、神主の親父が死んだからと娘が都会から戻って
神主になり、お清めやお払いを見よう見まねでやっておられるし、俺自身
も四国遍路などを喋ったら人に神主の資格を取る合宿に誘われたこともある。
禅宗の坊主になるより易しそうな感じがしたけど、日が合わず断った。。
終戦直後の政教分離が行われた混乱の中では、今よりよっぽどいい
加減だったと思うし、明治の英雄、松平春嶽の孫で宮内大臣松平慶民
の長男という血統のよさがあったらなれるだろう。
本人は海軍少佐で終戦を向かえ、自衛隊では一等陸佐で退職。
歴史博物館長を務めたあと、宮司になっておられる。
精神的な修行や苦行をやられた形跡はない。
本人も自称気味に素人宮司と言われてます。
ーーーー引用開始ーーーー
その心境を語った昭和天皇の言葉が、元宮内庁長官の故富田朝彦氏の
手で記録されていた。A級戦犯の合祀に不快感を示し、
「だから私あれ以来、参拝していない、それが私の心だ」とある。
昭和天皇が靖国神社への参拝をやめたのは、A級戦犯の合祀が原因
だったことがはっきりした。
合祀に踏み切った靖国神社宮司の父親は松平慶民元宮内大臣だった。
メモには、その名を挙げ、
「松平は 平和に強い考(え)があったと思うのに 親の心子知らず」という言葉がある。
A級戦犯が合祀されているところに参拝すれば、平和国家として生まれ
変わった戦後の歩みを否定することになる。昭和天皇はそう考えたのだろう。
(2006年07月21日 asahi comより)