>>75 沖縄戦の直後がどうなってたかしらないけど
少しは調べて書き込んだらどうだね。
戦火を免れても、食料を日本軍にとられてほとんどなく米軍の施しで生きてたんだよ。
軍事優先で南京虐殺を行った部隊だから、住民のことなんてほとんど配慮しない
奴が参謀総長じゃ、仕方がなかったのかも知れんが・・・
当時の沖縄住民は米軍も怖がってたが、日本軍をそれ以上に怖がってました。
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収容所での暮らし
捕虜となった人々は各地につくられた収容所での生活を始めていた。4月6日に
すでに収容所で生活していた人の自伝もある。日本兵が食料を狙って夜襲に来
るのが怖かったそうだ。戦争が終わった後は出身地ごとの収容所も出来たって。
9月半ばを過ぎても、すべてを失った沖縄で「終戦」の連絡は行き届くはずも無く、
沖縄の各地で敗残兵や住民が山中に隠れていた。
ちなみに、前沖縄県知事 大田昌秀氏は鉄血勤皇隊師範隊だった。
学徒動員されたんだね。米軍に投降したのがなんと、10月下旬。
ずっと戦争中だったんだね。
この経験から沖縄戦関連の本をいっぱい出しているよ。読んでみてね
(沖縄戦のあの日あの時 より)