>>45 舟は4隻−−いや7隻か8隻は集めましたが、とても足りる数ではないと、私は気が重かった。
自分でも足らないの判って書いてるんだね。
あなたはこんな出任せを信じてるのかな???
港でもない場所に船を浮かべて、1万人もどうやって渡すんだろうね。
俺はマグロ船に乗ったり、ボートや釣り船に乗ったことがあるけど、陸から人間を
船に乗せるにはドン深の場所が必要なの。
遠浅の場所でのせたら、船の底が着いて動けなくなってしまう。
両角大佐の手記は戦後に書かれたという話だし、田山少佐らのデマだと思う。
ダイタイ解放するのなら機関銃部隊なんて不必要だろう。
捕虜に対して、この場所から解放され自由になると言えばいいのだからね。
負け戦の兵隊としては、大喜びだろう。殺されなければ御の字だ!
ーーーー引用開始ーーーー
『手記』は明らかに戦後書かれたもので(原本は阿部氏所蔵)、幕府山事件を
意識しており、他の一次資料に裏付けされないと、参考資料としての価値しかない。
http://www.geocities.jp/yu77799/higasinakano72.html
>> 「いつ」「どこで」「誰が」「なぜ」「どのように」目撃したのか分からない証言なんて価値がないよ
揚子江に放置された遺体を、日本軍輸送部隊のカメラマンも撮影してます。
写真のド素人がイチャモンをつけてますが・・・
遠目からでも男か女かなんて、服装から簡単にわかるよ。アンタ判らんかね。
ーーーー引用開始ーーーー
大虐殺のうわさが…
ようやく足止めが解除されて、ある日、荷物受領に揚子江岸の、下関埠頭へ
行きました。すると、広い河岸が一杯に死体でうまっているのです。 岸辺の泥に
埋まって、幅十メートル位はあろうか、と思われる死体の山でした。
揚子江岸で大虐殺が行われた、というその現場でしょうか、軍服を着た者はほと
んどなく、大部分が平服の、民間人で、婦人や子供も交じっているようでした。
http://www.nextftp.com/tarari/Matsuo/murase.htm