満州事変以前にもう満州はこういう状態だった件について
附属地とは日本がポーツマス条約で勝ち取った正当な権利であり
それを尊重しない支那はポーツマス条約にも対華二十一ヶ条の要求にも違反している
(大阪朝日新聞 昭和6年(1931年)6月9日付)
「早晩正面衝突か 支那側の無謀に 安東邦人極度に憤慨」
【安東県】
支那各機関の排日は日のたつにつれていよいよ尖鋭化し、つひには日本人の支那街へ行くことも不安を感ぜしめるやうになった、
附属地境界に設けた支那税損局出張所では華人にして附属地内で商品を購入して支那街へ搬入せんとするものに対しては
罰金と称して出張吏員が勝手に課税してしかも着服し宛然無警察状態を現出し
これがため支那人の附属地内での商品購入は激減し関係邦商には非常な打撃を与へ
ひいては日本人の支那街通行も不安におびやかされるやうになつた在留邦人は
支那官憲の処置を極度に憤慨しわが官憲を督励して厳重抗議を発せしめてゐるが早晩正面衝突は免れなからうと決意している