外国人参政権についてPart2


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■外国人参政権についてPart2

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529 名前: 恵也 :2010/04/09(金) 10:37:03 ID:NTvRdA8l

>>509 本来欝陵島も日本人が住んでた日本領土だったのに、日本が退いてさしあげたんだよ

日本領土になったことはないよ。
鬱陵島は江戸時代に朝鮮と帰属問題で、外交交渉が行われて朝鮮領土と
決着してます。そのときに鬱陵島に日本人が行かなくなったので、途中寄港地
である竹島にもほとんど行かなくなりました。

鬱陵島で島根県の浜田藩が密貿易したときには、竹島を寄港地にして寄って
ましたが、幕府に摘発されてからはまったく竹島には行かなくなりました。
鬱陵島あっての竹島だったんだぜ。
だからこそ昔は、ペアで鬱陵島を竹島と読み、今の竹島を松島と読んでました。

ーーーー引用開始ーーーー
これには、林蔵が薩摩の密偵に赴く途中、たまたま浜田城下を通った際に密
貿易事件をかぎつけ、薩摩からの帰途、大阪に立寄って、大阪町奉行矢部
駿河守にそのことを告げたのが、事件発覚の端緒であるといわれている
(竹島事件 より)

>>中国は一度たりとも実効支配した事は有りませんでした

無人島に対する実効支配という意味を考えたことがあるのかい?
むかしの世界では、両国が中国の島であると考えたら良いだけだ。

中国から沖縄まで使節団が行く時の記録に、尖閣諸島が中国の境だと
いう記述が存在してます。

ーーーー引用開始ーーーー
日本および琉球には、明治以前は、中国の文献から離れて独自に釣魚諸島に
言及した文献は、実質的にはひとつも無かったとさえいえる。これは偶然ではない。

この島々は、琉球人には、中国の福州から那覇へ来る航路に当るということ以外
には、何の関係もなかったし、風向きと潮流が、福建や台湾から釣魚諸島へは順
風・順流になるが、琉球からは逆風・逆流になるので、当時の航海術では、きわめ
てまれな例外はいざ知らず、琉球からこの島々へは、ふつうには近よれもしなかった。

したがって琉球人のこの列島に関する知識は、まず中国人を介してしか得られな
かった。彼らが独自にこの列島に関して記述できる条件もほとんどなかったし、また
その必要もなかった。
(釣魚諸島は明の時代から中国領として知られている  より)

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