>>85 そもそも魏志倭人伝を書いた陳寿は、一度も日本に足を運んでないんだけど?
少しは調べてるようだけど、日本に足を運ぶことは正確であるための必要条件じゃない。
陳寿がいつ頃の人間で、どんな仕事をし、正確な報告書をどの程度見ることが出来
たのかだ。
卑弥呼とほとんど同時代に生き、魏から晋への平和革命で公文書が散逸せず
晋の役人として魏の時代のことを正式な歴史書として書いた人だ。
陳寿は時代雰囲気も良く知っていた。
俺は魏志倭人伝の信頼性は非常に大きいと思ってる。
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陳寿は蜀の国で233年に生まれ297年に65歳で亡くなっています 邪馬台国
の女王の卑弥呼とほぼ同時代の人です
http://www.webtelevi.com/yamataigisi.htm
>>そもそも勝手に「一代10年」と決めてさかのぼるやり方が「科学的」かよwww
勝手じゃない、天皇の確実な活躍年代を調査した上でのことだ。
神武天皇を、第50代桓武天皇(781年〜806年)を基準にしてハシゴをかけてみる。
第31代用明天皇は西暦585年に即位してる。その間221年を20人の天皇が即位した。
1人当たりの平均即位年数は
221/20=11.05年
傾向として安本氏の天皇の平均在位年数グラフを見ると5世紀から9世紀にかけて
1.36年延びている。100年間に0.34年だ。
用明天皇と桓武天皇の中間地点は696年
神武天皇が300年頃の即位だとすると、中間地点は553年
中間地点の差が143年ある。
143/100*0.34=0.486
11.05−0.49=10.56
これを平均在位年数として計算すると
初代の神武天皇の死亡年は
806−(50−1)*10.56=289
天照大神の死亡年は
806−(50+3)*10.56=246