外国人参政権について part2


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■外国人参政権について part2

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404 名前: 恵也 :2010/05/05(水) 16:19:04 ID:QliiYbWB

>>391 崇善堂を持ち出す段階で恵也の無知が知れる

あなたと俺と比べたら、どちらが無知だろうね。
崇善堂の連中は、利権のない出入りが自由な集団だったんだよ。
出入りが自由だから巨大になるのも早いし、目的がなくなると小さくなるのも早い。

むかしの日本でもべ平連という集団があったが、ベトナム戦争が終わると消えてしまった
崇善堂も南京での遺体埋葬が終わると、急激に小さくなったと思われる。

ーーーー引用開始ーーーー
崇善堂の埋葬記録に対する攻撃は、内容的にふたつの側面がある。
第一は崇善堂は埋葬を行なっていないというものであり、第二は崇善堂
の埋葬内容は信じがたいというものである。

 まず第一点について。崇善堂の埋葬記録によれぽ、同胞の惨殺死体が
至るところにあるのを見かねた堂長の周一漁がみずから隊長となって
「崇字掩埋隊」(崇善堂埋葬墜を組織したという。一九三八年二月六目付
げで周一漁崇善堂埋葬隊隊長が「南京市自治委員会」に宛てた書簡がある。

「査するに弊堂が埋葬隊を成立させてから今まで一か月近くたち」と述べ
、崇善堂の自動車は民国二四(一九三五)年製なのでバッテリーなど自動車
修理部品が緊急に必要だとし、その補助を要請したものである(『南京事
件資料集(2)中国関係資料編』二七八頁、原文は南京市とう案館所蔵)。

これに対し二月八日に「南京市自治委員会」から直接丁三自動車修理部と
交渉するようにとの返事が出されている。ここから少なくとも三八年はじ
めには崇善堂埋葬隊が組織され活動していたこと、崇善堂は自分の自動車
をも所有していたことがわかる。

 同年一二月六日付けの周一漁から「江蘇省賑務委員会」宛ての報告のな
かで「今事変において、弊堂は難民区内に診療所を設げ、埋葬隊を組織し
、その他の救済事業も取り計らいました」と述べて、埋葬隊について言及
している(同前、二七八頁、原文は中国第二歴史とう案館所蔵)。

三九年一月二一日付けで長生慈善会という別の善堂から「督辮南京市政公
署」に宛てた資金援助要請書簡には、「昨年の南京事変で、死体が地に満
ち、惨たること見るに忍びずにいたところ、本会保有の乙級の材木板木百
余りを、崇善堂・紅卍字会など各慈善団体埋葬隊と地方人士が分けてほし
いと訪ねてきたので、あげてしまいまったくなくなってしまった」とある
(『侵華日軍南京大屠殺とう案』四五七頁)(ゆう氏 より)

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